レオナルド・ダ・ヴィンチ -時代を超えた天才- ジョン・フィリップス 訳=大岡亜紀/小野田和子

2009年8月20日第1刷発行

 

イタリアで非嫡出子として生まれたため、父方の祖父母に引きとられ、華やかな都会だったフィレンツェに移り住み、14歳の頃にヴェロッキオの工房に弟子入りした。6年ほど修行を積んだ後、25歳頃に独立して工房を構えた。ロテンツォ・デ・メディチダ・ヴィンチがミラノで宮廷音楽家として働けるようとりはからったようだが、パトロンになることはなく、当時「dispero」(わたしは絶望している)とノートになぐり書きをしていたらしい。ミラノに移り住み弟子サライを入れた。ダ・ヴィンチのノートは2万ページにもなり、残存しているのは7000ページのみ。水に関する観察と実験を重ね、潜水艦まで設計。空を飛ぶ夢も追いかけ、世界初のパラシュートを考案し、2000年6月26日、その設計どおりのパラシュートで実験が行われ、成功。「最後の晩餐」は透視図法をとり入れた名作。見らん藻を離れべフィレンツェに戻り、ヴェッキオ宮殿の会議場の向かい合う二つの壁面に、アンギアーリの戦いを手掛ける。もう一方にはミケランジェロカッシーニの戦いを手掛ける。どちらも未完で、ジョルジョ・ヴァザーリが別の壁画を改めて制作した。モナリザは「4分の3正面」、手までふくめて、ウエストから上を描いたこと、視線がどこか遠くではなくまっすぐに鑑賞者に向けられていることーこれらが新しい着想として描かれた。生涯手を入れ続けたらしい。人体に関する研究も熱心で、最後にフランス中央部クルーの館にて67歳でこの世を去った。現代においても、ダ・ヴィンチの人対比例図はイタリアの新1ユーロ硬化裏側のデザインに採用されたり、コンスタンチノープルにかける橋の図案を描いたデザインにもとづいて実際に歩道橋がオスロ近郊に2001年に完成した。彼は万能の天才である。