2009年11月25日 第1刷発行
「英語力」「IT力」「情報力」で第三の鎖国を防ぐ
昭和天皇は英語を聞き取ることができたことから短波放送の情報から世界情勢や日本が戦争に負けつつあるという状況を知っていたからこそ戦争をやめるという決断ができたと。
このことは記録に残っているとのこと。
「二十一世紀に生きる君たちへ」司馬遼太郎 この中に「洪庵のたいまつ」所収
「坂の上の雲」(全8巻)司馬遼太郎 正岡子規、秋山好古、秋山真之の3人の姿を通じて近代国家を築こうとした明治の日本を描く。
写生主義(技巧なくとも普段使っている日本語で俳句や小説を書く)を確立した子規。
漱石に影響を与えた。漱石からの手紙を待ち望んで死んでいった子規の存在は、後に漱石を小説化として大成させたという趣旨のことが書いてあります。
淡路島出身の嘉兵衛は兵庫で北前船を動かす廻船問屋で成功をおさめる。
ロシアに拿捕された嘉兵衛は11歳のロシアの少年からロシア語を教わりながら、ロシアを理解し、日本が逮捕したゴローニン艦長解放のために日本とロシアの間に立ち交渉。
「菜の花の沖」(全6巻)司馬遼太郎 一商人の立場にありながら、幕府とロシアの間に立ち外交交渉を行った高田屋嘉兵衛。
司馬史観については賛否両論あります。が、司馬史観で育った世代が多いのも事実。かくゆう私も恐らくその一人なんでしょう。
さて、吉川英治と司馬遼太郎、このお二人のことはなぜかこのブログではほとんど触れて来ずじまいです。若い頃に読んだものが多いので、若い時に読んだ記憶を思い起こして、いつかお二人のことについてまとまった文章を書いてみたい気がします。