堀辰雄 ちくま日本文学 no039 1904-1953

2009年9月10日 第1刷発行

 

松田聖子の「風立ちぬ」。その原作は、この小説とは、今の今まで知らなかった自分の不明を恥じいるばかりです。

婚約者節子の結核療養のために、高原の中に建っている、サナトリウム結核療養所)で、日々を一緒に暮らす主人公の目線で、サナトリウムに到着するまでの話と、サナトリウムでの二人の生活の様子を丹念に描いている。

項立ては、序曲、春、風立ちぬ、冬、死のかげの谷、である。

 

項目以外にも、時々に、行間が一行空いている。何ともその行間がなかなか考えさせられる。この行間に、今までの小説とは全く異質の空間を感じた。この小説は、作者の自叙伝だろうか。

 

さて、読んでいて、ドキっとさせられたのは、主人公の次のフレーズ。

「お前にはね、おれの仕事の間、頭から足のさきまで幸福になっていてもらいたいんだ。そうでないと・・・」

「私はいま何かの物語で読んだ『幸福の思い出ほど幸福を妨げるものではない』という言葉を思い出している」

 

死のかげの谷

 山小屋に主人公が越す場面から始まるので、彼女は死んでしまったのかな?と思い、読み進んでいくと、どうやら前年かその年草々に亡くなったことが分かる。主人公は彼女のことを考えつつ、山小屋で暮らし、その近くを散歩したりする。

幸福の谷と呼ばれる、谷上にある山小屋の中で主人公が感じる、今、この時を、作者は巧みな表現で綴る。リルケのエクレイムの引用は私には理解が難しい。

彼女が亡くなる直前の様子に触れず、最後はどういう関係でどういうやり取りがありどういう状況だったんだろうと読者が勝手に推測するしかないが、その手掛かりは、死のかげの谷の中の描写にあるのだろう。でも、どう理解したら、いいんだろうか?