100de名著 黒い皮膚・白い仮面 フランツ・ファノン 小野正嗣

 

カリブ海マルティニーク島フォール・ド・フランスで生まれたファノン。

1952年、黒人差別の構造を暴いた『黒い皮膚・白い仮面』が刊行され、後世に影響を与える。ファノンに影響を与えた人物として、マルティニーク島出身の詩人エメ・セゼール(「ネグリチュード」運動を提唱、植民地主義を批判)、サルトルがいる。ファノン以降に登場した黒人作家として、マルティニーク島出身の小説家パトリック・シャモワゾー、エドヴァ―ル・グリッサン、アメリカ出身のトニ・モリスン(1993年ノーベル文学賞受賞『青い眼がほしい』)、グアドループ出身のマリーズ・コンデがいる。

 

第1章では、

多くの人が日常語として使うクレオール語話し言葉で書き言葉ではないため、クレオール語に対し否定的評価をし、コンプレックスからフランス語を話せることでフランス文化に近づき、フランス語への憧憬を抱いているという言語的背景を説明している。

また言葉遣いからも、気づかないうちに差別的な態度を示していると指摘するファノンは、どんな肌の色であれ、皆、人間として平等だという人間観を『黒い皮膚・白い仮面』で主張している。例えば、白人よりもフランス語を巧みに操るという言葉を通して。

 

第2章では、

支配者の文化を強いる植民地的環境によって、黒人に「乳白化」の欲望を抱かせ、「白い仮面」をかぶらせ、内面まで白くなってしまう、「内面化される差別構造」を説明している。

『青い眼がほしい』(モリスン)についても詳しく取り上げ、黒人の人種的な自己嫌悪に陥る、劣等感、それがいかに人の心が破壊されるかを描いているとする。

 

第3章では、

ファノン自身が、ニグロ呼ばわりされたことで、その時感じた動揺を繰り返し表現し、「体験を思想に落とし込む」。それを「対象化され、切断される自己」と表現している。その上で、一旦は「ニグロであること」を引き受けつつも、再びどうすれば「地に呪われたる者」を解放することができるのかと問題提起する。

 

第4章では、

ヤスパースの「それらの罪が犯されるのを妨げるために、なしうることをなさないなら、私は共犯者となる」との言葉を引用しながら、ファノンがユダヤ人であれ、黒人であれ、人間に対してなされる差別は、すべて、一人の人間である自分に対してなされた差別であり、それを見過ごすことは、自分自身が差別に加担していることになり、同時に自分の中の人間を否定することになる、と訴える。誰の中にもある普遍的な人間を信じ、互いにそれを認め合う、互いに理解し合う方法への模索。そこから「ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない」という結論に行きつく。

最後に「わたしの最後の祈り、おお、私の身体よ、いつまでも私を、問い続ける人間たらしめよ!」という叫びで締めくくられている。

 

 差別という問題を、内面化される差別構造という視点から、1952年という時代に掘り下げた一書。アジア人に対する差別が昨今再び問題になってきているが、アジア人の場合も同様なのか、更に別の切り口があるものなのか。固定化された差別は暴力である、と以前何かで読んだことがあるが、差別の問題は人間性の奥深くに直結する大事な問題であり、それをどう克服するか、常に問われ続けている。日本人だけがいる日本の社会では肌の違いによる差別の問題は意識しにくいが、いたるところに差別の問題は存在している。その差別の問題の根っこにあるものは恐らく全て一緒なのだろう。人間の内面を掘り下げた考察こそ、最も望まれる。