グーテンベルク 印刷術を発明、多くの人々に知識の世界を開き、歴史の流れを変えたドイツの技術者 マイケル・ポラード 訳/松村佐知子

 

1994年3月初版第1刷

 

どうやらグーテンベルクについてはよくわかっていないらしい。ただ借金を繰り返し裁判を多く起こされ、その記録から少しだけわかるらしい。彼の発明を利用して、金もうけに走る人物がいた一方で、彼自身はお金がなくて苦しんだようです。20年ほどかけて印刷術を生みだし、それが自由な知識への扉を開けてくれたので、人類の恩人ですね。

グーテンベルクの四十二行聖書が印刷されたとき、ヨーロッパ全体で文字が読める人は恐らく数千人しかおらず、ほとんどは修道士や聖職者たち。教会は印刷された書物を発禁にするなど、書物が多くの人の目に触れることを恐れていた。しかし、印刷が広まると、教育の分野にも広がり、そして18世紀前半には文学作品が登場し、1837年にはチャールズ・ディケンズの「オリバー・ツイスト」やハリエット・ビーチャー・ストー夫人の「アンクル・トムの小屋」などが大人気に。

日本では、本木昌造が「日本のグーテンベルク」と呼ばれ、嘉永のころ、明朝体という活字で作る。写真植字の開発者は石井茂吉で大正13年に試作機第1号を生み出した。

 

紙の発明もすごいことだと思いますが、書写するだけでは多くの人々に伝えるのは難しいですよね。その意味では印刷術が発明されたことで、多くの人が読むことが出来、知識が一気に増えていったのですから、偉大な発明の一つであることは間違いないと思います。しかし、そのような偉大な発明をした人物のことが実は詳しくわかっていないというのも驚きでした。