エイブラハム・リンカン アンナ・スプロウル 訳/茅野美ど里

1994年4月3日 初版第1刷

 

1809年2月12日、ケンタッキー州の農家の丸太小屋で生まれる。教室での教育は1年にも満たず。25歳で州会議員に。28歳で弁護士資格を取り、37歳で下院議員に。

1850年、ストー夫人の『アンクル・トムの小屋』がベストセラーとなり、自由州では奴隷制の廃止を求める声が圧倒的になる。51歳で共和党から第16代大統領に。ほぼ同時期に6つの州が連邦を離脱し南部連合を結成。連邦を救うために南北戦争がスタート。

リンカンは政治家としては奴隷制廃止論者ではなかったが、人間としては奴隷制藩士論者に賛成。53歳の時、連邦を救うため、戦争に勝つために奴隷解放予備宣言を発する。そして遂に1863年1月1日、奴隷解放宣言に署名。1863年11月19日、ゲティスバーグの町はずれの丘で連邦の戦没者墓地開所式で、2分ちょっとの歴史的な演説を行う。

「名誉ある戦死者が、最後の最後まで身を挺して守りぬこうとしたもの、われわれはそれをさらなる献身をもって、やりぬかねばなりません。かれらの死を無駄にしないために、この国が神のもとで、自由の国として新しく生まれるためにー人民の、人民による、人民のための政府が地球上から消えてしまわないように、やりぬくことを強く決意するものであります」

グラント将軍の活躍や、黒人が自由を求めて連邦のために戦ったことから、遂に連邦に勝利がもたらされる。1865年4月9日、南軍リー将軍が降伏文書に署名して戦争は終結

次は、国内の平和を勝ち取るために、奴隷ナシの暮らしを受け入れてくれるよう説得しようとした矢先、4月14日、喜劇鑑賞中に凶弾に倒れ、翌15日午前7時22分に亡くなる。生前中、合衆国全土で奴隷制を禁止する新しい法律、憲法修正条項を議会に提出し、全土で350万人の奴隷が自由に。黒人に選挙権を与えようとしていた矢先であった。それでも1870年、修正条項15条が議会を通過。もっとも南部の州は、以後も法に背いた状態が続く。

1863年から100年後の1963年8月28日、キング牧師による歴史に残る演説。

それでも、今なお続く黒人差別。それを撤廃するための戦いはまだまだ続く。

 

初代ワシントン大統領、第3代ジェファーソン大統領、第16代リンカン大統領が恐らく歴代大統領の中でも最も偉大な大統領だとされていると思う。その中に農民の中から苦学して大統領になったというリンカンは異色中の異色だと思う。