その名は新鮮組 砂田弘

2003年12月第1刷 2004年1月第2刷

 

農家出身の近藤勇土方歳三身分制度の厳しかった時代に身分を問わずに新選組に入れたこと自体が驚き。しかしテログループでもある。このような光と影が交錯するところに新選組の魅力があると著者は分析する。

池田屋事件は京都に火を放とうとした尊王攘夷派の志士を一網打尽にして新鮮組の名を日本中に轟かせた大事件。久坂玄瑞高杉晋作坂本龍馬勝海舟西郷隆盛らの英傑が次々と登場する。

尊王攘夷に近い考えを持っていた伊東甲子(かし)太郎が1867年3月20日に同志とともに新選組を去り、互いにスパイを送り込む分裂状態になる。その直後、近藤局長率いる新選組幕臣に加えられる。前年の11月には伊東が竜馬に忠告するも竜馬は聞き入れず、その直後伊東も新選組に暗殺されてしまう。

1868年4月11日、無血開城となるが、その直前の4月3日、近藤勇が捕らえられ、4月25日には処刑される。

幕府側についた彰義隊会津藩新選組、白虎隊が次々に敗北、降伏、自決が続く。五稜郭に築かれた榎本政府の下、土方のみが戦死を遂げ、榎本武揚は官軍に降伏し、後に明治政府に使えて外交官となる。永倉新八は生き残り、小樽で1915年に亡くなる。土方の霊を最後まで弔う。「思い残すことはない」と言って息を引き取った。

 

一途な余りに花と散った近藤勇土方歳三沖田総司。幕府と共に滅びた男たち。強い者に命をかけて徹底抗戦して散っていくという姿に、日本的な美を感じる人が多いために、今もって人気が衰えない。一方で、時局を冷静に見極めることが出来ず、人を次々と暗殺していくテロ組織の面もぬぐえない。

歴史の評価はこれからも右にいったり左にいったりすると思うが、そう簡単に割り切ることもできないのではないか。