高橋尚子 走る、かがやく、風になる 早野美智代

2002年3月15日初版発行

 

毎日最低5時間は走る。「スタート地点に立ったとき、これまで走ってきた距離にくらべれば、あとたった42キロ走ればいいんだと思うんです」 この言葉を読んだとき、衝撃が走った。何を当たり前とするかという問題はとても大事なことだと思う。その人が従前培ってきたものが物を言うわけだが、マラソン選手でこの言葉が口から出るというのは、並大抵の努力で出てくる言葉ではない。日本女子初のマラソン金メダリストとして世界一の選手になった時、高橋選手は「わたしは人の倍以上努力して、やっと人並み。3倍努力して、はじめて人より強くなれる」 この言葉どおり、正真正銘、人の3倍の努力が偉業達成に繋がったのだと痛感した。

有森選手を育て、高橋選手を育てた小出義雄監督も登場する。当時リクルートにいた小出監督に指導を受けたくて高橋選手は単身で小出監督を尋ねるも、会社の方針で今年は大卒は取らないと言われてがっかりする。しかし、小出監督に猛アタックして夏合宿だけならという条件で少しずつ見てもらえることになり、遂には契約社員として小出監督に見てもらえるチャンスを得る。Qちゃんのあだ名はリクルートの新人歓迎会の際におばけのQ太郎に扮した踊りが皆に受けて、そこから付いたものらしい。リクルート入社後、高橋選手の成績はなかなか伸びなかったが、小出監督の指導を素直に聞いてぐんぐん伸びていく。標高3500mを超えるウィンターパークで夏でも最低0℃になる厳しい条件で地獄のようなトレーニングを積み、心拍数は1分に35~40回だというから普通の人の半分。文字通り強い心臓・精神が作られていった。

背表紙には、直筆で「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」とあった。才能があるから結果が出るんだとか、結果が出せる人のことをそんなふうに見る自分がいるが、そんな甘いことを言っているようではダメだ。

やはり努力、努力の二文字でしか、人生は切り開いていくことはできない、その大事なことを改めて教えてくれた高橋選手の生き様でした。