渋沢栄一 社会企業家の先駆者 島田昌和

2011年7月20日 第1刷発行

 

土屋喬雄に「日本資本主義最高の指導者」と評価され、「経済道徳・経済倫理を説いて回った高潔無私なリーダー」というイメージが定着する一方で、渋沢研究は青年期を重点的に取り上げる物語として編まれることが多く、働きざかりの30代から60代に至る時期のビジネス面での活動がほとんど取り上げられないままに論じられてきた、として、多くの会社に同時並行で関わったメカニズムの実証研究がなく、また富の拡大再生産モデルを作り上げ、その社会への還元を実践した活動が社会企業家の先駆けそのものであるとして、本書は1章から5章までで構成されている。その中で、私は、「第5章 社会・公共事業を通じた国づくり」の中で「4 思想統合の試みと挫折」との項が設けられていることに注目した。具体的には、著者は、倫理・宗教間の一致点を模索した帰一協会を取り上げ、渋沢の思想と行動の選択過程を追っている。帰一協会は、そもそも成瀬仁蔵が渋沢や森村市左衛門に呼びかけて「宗教統一」のための準備会合をもち、1912年に発足するが、学者・財界人などが参加し、「儒教、仏教、耶蘇教等あらゆる宗教の長所を折衷綜合したる、統一的の一大宗教」を求めていたが、次第に宗教への期待が薄れて道徳に収斂していく結果となっていく。その理由としては、宗教家や宗教学者間の見解の相違が大きかったと指摘。結局、帰一協会の宣言では、草案段階では宗教に触れられていたものの、最終文面には宗教という言葉すら盛り込めず、結局尻すぼみとなり、渋沢のエネルギーは思想を人々の行動に反映した活動に移っていったと結論づけている。さすがの渋沢さんも宗教界まで巻き込むのは難しかったのだろうか。社会と遊離した当時の宗教界の実情からすればそれは已むをえなかったのかもしれない。