水と緑と土  伝統を捨てた社会の行方 改版  富山和子

1974 年 1 月 25 日発行 2010 年 7 月 25 日改版発行

 表紙裏に「かつて日本人は自然を愛し自然に対応して生きる民族だった。それがなぜ現在のように自然を破壊するようになったのか。伝統的な自然観との断絶の跡をふりかえり、自然と人間社会とのバランスを崩した土地利用が何をもたらしたかを、水害、水不足、熱公害、大面積皆伐などの具体的事例から追究する。土壌の生産力こそ真の資源であり、それを失った文明は必ず滅亡するという警告は、日本人に深い反省を促さずにはおかない」とある。


 末尾の「あとがき」「改版に寄せて」を簡潔にまとめると次のようになる。
 第1に、水と緑と土は同義語である。
 「土壌の生産力を失った文明は亡びる」
 第2に、土壌の形成には、一つの法則があった。
 「いかなる動植物も土壌の形成に参加し、浸食防止に力を貸した。もしもこれを拒
む生物があれば、その生物は滅亡した」という法則である。
 第3に、土壌は日本列島にあっては人間の労働の産物であった。

 本文の内容は、きわめて説得的である。今まで考えて来なかった問題だが、極めて鋭い問題提起を行っている。「複合汚染」で紹介されていた理由がよく分かる。
「堤防万能主義」「ダム万能主義」により、川の水を海に一直線に流すことにより土地を有効活用して都市を作ろうとした明治時代の政策や、ダムで水を貯めることで水不足問題が解決できると考えて次々とダムを造ったものの、結果として、川の水が森林を始めとして土に返り、地下水となっていかないために、そしてダムで貯められる水の量は日本ではダム自体の規模がきわめて小さく水不足の解消に繋がらず(天竜川の佐久間ダムの貯水量 2 億 544万立方メートル、ローデシアのカリバ・ダム 1750 億立方平方メートル)、むしろダムそのものが時間とともに堆積して貯水量がどんどん減少し(佐久間ダムの昭和 41 年当時の埋没量 13%)、ゆくゆくは使い物にならなくなっていく。こんなバカな政策を明治の時代に取っていたことに先見の明がある海外の学者は警鐘を鳴らしていた。にも拘わらずその声に耳を貸さず、西洋の技術を浅知恵で直輸入して都市化を進めたことに今日の水問題の根源的原因があると説く。それ以前は川の水はコンクリートで固められた堤防ではなく、森林や土に逃がしてやることで管理していた。まさしく治水、利水こそ政治が最も真剣に取り組むべき課題の一つであった。伝統をあっさりと捨て去ってしまったツケを様々な分野で払わなければならなくなってきた現代。果たして解決の糸口はあるのだろうか。
「日本の化学肥料使用量は、単位面積農地当りアメリカの5倍、ヨーロッパの 3 倍であり、農薬はアメリカの 7 倍、ヨーロッパの 7 倍に達している」(192 頁)というくだりは衝撃的だ。有吉さんの複合汚染も数値をふんだんに盛り込んでいたが、こういう客観的データを元にした冷静・沈着な議論が巻き起こるのを祈るのみである。