2021年4月初版第1刷
センジンファイル048 岩手 新渡戸稲造(1862~1933)
太平洋の架け橋をめざした国際人 東京女子大の初代学長 国際連盟事務次長
センジンファイル049 群馬 船津伝次平(1832~1898)
伝統的な農業に近代科学を組み合わせた混同農法を日本全国に広める。
駒場農学校で教えるが、農商務大臣井上馨と対立し4年程して学校を去る。
センジンファイル050 東京 津田梅子(1864~1929)
7歳でアメリカにわたり女子高等教育の道を開く 津田塾大学の生みの親
センジンファイル051 神奈川 岡倉天心(1863~1913)
27歳で東京芸術大学の校長に。日本美術院をつくり、ボストン美術館の中国・日本美術部長に。
センジンファイル052 岐阜 下田歌子(1809~1880)
明治の紫式部と呼ばれる。明治天皇の皇女の教育係。実践女子学園の生みの親。大正15年には通信教育を始める。82歳で亡くなる10日前まで授業をした教育者。
センジンファイル053 兵庫 嘉納治五郎(1860~1938)
文京にある講道館には一度足を運んでみたい。
センジンファイル054 鳥取 遠藤董(ただす)(1853~1945)
鳥取は明治9年に島根に合併されるが、明治14年に復活。図書館と盲唖学校を作った“鳥取の教育の父” 8歳で藩校「尚徳館」入学。92歳で亡くなるまで教育に命を捧げる。「視聴は只真心をもってす」が自らの教育理念。
センジンファイル055 岡山 池田光政(1609~1682)
日本で初めて庶民のために学校を作った大名。9歳で鳥取藩主。24歳で岡山藩主。1670年閑谷学校(岡山)創建(今の県立和気閑谷高等学校に繋がる)。
センジンファイル056 山口 吉田松陰(1830~1859)
佐久間象山の下で兵学を学び、アメリカに渡る決意をするも失敗して牢獄に。いつもは丁寧な言葉遣いの松陰だが、過激な手紙を宥める弟子たちに怒り狂う松陰。
センジンファイル057 大分 福沢諭吉(1835~1901)
大阪生まれの下級武士だが、父が1歳半で亡くなり大分・中津でオランダ語を学ぶ。適塾で塾頭になるも、英語の必要を感じ独学を始める。「咸臨丸」でアメリカに渡り、帰国後1868年(明治元年)慶応義塾を。
有名人が多い教育分野の中で、鳥取の歴史や遠藤董、船津伝次平のことは知らなかったので、勉強になります。