書物と貨幣の五千年史 永田希

2021年9月22日 第1刷発行

 

 著者は、本(書物)も貨幣(お金)もブラックボックスだという独特の着眼点から、コンピューター社会に生きる現代人は幾重にもブラックボックスに取り巻かれて生活していると述べる。

 それを解き明かすために第1章では電子貨幣・電子書籍・電子決済を入り口に現代における書物と貨幣の変遷を辿りながら現代人の生活のなかで不可視化されているものが何かを示し、第2章では産業革命とそれ以前の歴史を辿ることで不可視化されているものの源流を探る。産業革命複式簿記、印刷や紙やインクのような書字技術、言語など、現代のブラックボックス入れ子状に畳み込まれた近代以前のブラックボックスに触れる。

 第3章以下は第1・2章を踏まえて、ヒュームの認識論、カントの観念論、フッサールの現象論、ソシュール言語学やそれ以降の記号論を発展的に継承したハイデガーデリダ、スティグレーの第三次過去把持(ここまでの部分はこの本はダントツに分かり易いと続く。ただ、その後ユク・ホイの「リ・アプロブリエーション」から少々難解になり、少し飛んでマルクス資本論ジンメル貨幣論を通して岩井克人貨幣論マルクス資本論にあった労働価値が消滅してしまうことを指摘する)、更にクロソウスキーの「生きた貨幣」にまで来ると再び難解に。これ以降、デヴィッド・グレーバーの「ブルジット・ジョブ」、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「バベルの図書館」(途中で『モモ』の時間泥棒のくだりは、この本はそうやって読むものなのか?と、ちょっとした驚きがありました)と難解な内容が続く。その後で、ジャン・リュック・ナンシーの「思考の取引」で「閉じと開かれのあわいにあるもの」という独特の説明があり、以下では「閉じ」と「開き」が一つのキーワードになって展開される。

 第4章は文学作品に畳み込まれたブラックボックス入れ子構造についてを取り扱い(題材として、芥川龍之介或阿呆の一生」、荘子胡蝶の夢」、トーマス・マン魔の山」)、そこから「ブレードランナー」、「攻殻機動隊」、「順列都市」というメジャーな作品を通して比較的最近の「あなたの人生の物語」(1998年)、「メッセージ」(2016年)を通して、次のようにまとめる。「人類の歴史は情報を不可視化して入れ子構造のブラックボックスにしていく過程としてみることができます。より多くの、より遠くからの情報を、より軽くして、より広く人々に伝えられるようにと発達してきた情報技術は、その発展の過程でさまざまな物事を不可視化してブラックボックスのなかへと畳み込んできました」「文字をもたない語り部たちが口承した物語、トークン、現存する人類最古の『書物』である帳簿、硬貨の誕生、神話や歴史など語り部たちの言葉をまとめた書物、書物を対象にした哲学、手写本、印刷術と紙や筆やペンなど書字媒体の発展、紙幣や各種手形(証券)の登場、活版印刷の改良と機械化による大量生産、電信による情報伝達の加速、金融の電子化、コンピューターとインターネット革命、モバイル革命と、ブラックボックスは進化してきました。これらをリバースエンジニアリングしていった果てに、記号とその指示大賞の多様さや時間が、情報技術のなかに不可視化されていることをあきらかにしました」と、これまでの議論をまとめている。これがクロソウスキーの「ファンタムス」を生み出す、ということをこの後議論していくのだが、ここから先は難解。

 著者は、要するに、あとがきにあるように、完全に不可視でもなく、完全に透明でもない中途半端な覆いがブラックボックスであり、みえるようでみえない、みえないようでみえる、その中途半端がひとを苛立たるけれども、その中途半端なものを、何が畳み込まれていて、何が中途半端に見えず、何が複雑なのかそれを知ることが、更なるブラックボックスが「開かれ始める」。そのことが言いたいようです。

 わかったり、わからなかったり、色々な場面に出くわし、普段使わない脳ミソの部分を使っているような心地よい疲労感を味わうことのできる異色の一冊です。