黒い雨 井伏鱒二

昭和45年6月25日発行 平成15年5月30日61刷改版 平成19年6月5日68刷

 

 この本は通読するのに3週間かかった。全ページ一枚一枚が重い。頁を捲ることができない。一行一行が重い。そこに登場する原爆投下直後の広島の人々、それぞれの死体、半死体が淡々と、しかし重々しく描かれている。こんな悲惨・凄惨極まりない小説は、かつて読んだことがない。現代の人々は、今に生きる私たちは、殆ど、このかつての現実、日常を忘れてしまったとしか言いようがない。

 裏表紙には「一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島―罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、一被爆者と“黒い雨”にうたれただけで原爆症に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を日常性の中に文学として定着させた記念碑的名作」とあった。

 小説は、閑間重松が、姪の矢須子の縁談が進まないため、8月5日以降の日記を清書しながら、原爆投下の8月6日以降の、広島の日々の状況、人々、死体の状況を、事細かに、つぶさに描き続ける。

 それでも、時にドキっとするような言葉に出くわす。「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」「わしらは、国家のない国に生まれたかったのう」

 後半に出てくる矢須子の原爆症が発症した後の、日に日に身体のどこかしこも異常な状況に陥っていく様子は読むに堪えない。その直後、岩竹医師がやはり原爆症を発症し、妻が福山にいて被爆を逃れて運よく夫を見付けることができたので、医師と妻がそれぞれつけていた被爆日記にそれこそ医師が九死に一生を得た場面など、今まで頁を捲るのがつらかったが、ここだけは一気に読み進めることができた。もっとも医師があまりに酷い耳鳴りに悩まされ、原因は耳一杯に蛆が涌いて蛆が鼓膜を掻き破ったという箇所を読んでゾッとした。それでも桃をすり下ろしたものと卵で栄養をつないで何とか原爆症の峠を越えて生き永らえることができたところまで読むとホッとする。最後は8月15日の放送の場面で終わる。

 野間文芸賞昭和41年受賞作品。