おじいさんのランプ 新美南吉

2004年6月7日第1刷発行

 

いずれも、今から70年以上前の童話作家の作品。

 

「牛をつないだ椿の木」

 旅人のために他人の土地に井戸を掘らせてもらいたいと思った主人公が、寄付を募ってもうまくいかない、地主に協力を求めても応じてもらえず、地主が死ねば息子が協力してくれると言ってくれたので地主が死ぬのを待っていたが、やはり地主が死ぬのを待つのは間違っていると反省して、地主に自分の誤った考えを告白しに行くと、地主が井戸掘りに協力してくれた、という話を通して、たとえ他人のためにもなる行為であったとしても、他人の協力をあてにしていては何も物事は進まないし、それが誰かの不幸の犠牲の上に成り立つものだとしたら、いかに目的が崇高であったとしても他人の不幸の犠牲の上に成し遂げるべきではない、ということを教訓としたお話。

 

「おじいさんのランプ」

かくれんぼで倉の隅からランプを見つけた孫に対して、このランプの商売でかつて成功を収めたお爺さんが、電燈の登場により商売上がったりとなり、他人の家に火をつけようとしたが、はたと古臭いものは取って代わられるという時代の流れを自覚して、スパッと古いものは捨てなければならないよと孫に語っているのが印象的だった。

「わしのやり方はすこしばかだったが、わしのしょうばいのやめ方は、自分でいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ。わしのいいたいのはこうさ、日本がすすんで、自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていたむかしの方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな意気地のねえことはけっしてしないということだ」