燃えよ剣(下) 司馬遼太郎

昭和 47 年 6 月 15 日発行 平成 19 年 1 月 20 日 92 刷改版

 表紙裏に「元治元年 6 月の池田屋事件以来、京都に血の雨が降るところ、必ず土方歳三の振るう大業物和泉守兼定があった。新鮮組のもっとも得意な日々であった。やがて鳥羽伏見の戦いが始まり、薩長の大砲に自刃でいどんだ新選組は無残に破れ、朝敵となって江戸へ逃げのびる。しかし、剣に憑かれた歳三は、剣に導かれるように会津若松へ、函館五稜郭へと戊辰の戦場を血で染めてゆく。」とある。
 

 「松林」「西昭庵」「江戸へ」で、土方が珍しく新選組の幹部に 2 日の休暇を頂きたいと頼み、お雪と今生の別れのために 2 日間を共に過ごすシーンがある。人間・土方歳三が描かれている。たった2日だが、心が通じ合う。歳三は最後に「お雪、出かける」、お雪は刀を渡し、「では。-」。お雪は数日間、西昭庵で過ごし、華麗な夕日を描こうとする。うーん、なかなかの描写です。これで今生のお別れかと思いきや、最終盤になって沖田総司からお雪のことを頼まれた鴻池の支配人友次郎が五稜郭にいる歳三の元にお雪を連れて来た。そして間もなく死ぬであろうという覚悟を決めた「歳三の感情も過去も悲嘆も論理も詞藻も悔恨も満足もそのすべて」をお雪が唯一受け止めた。「温かい粘膜を通して歳三を吸いとろうとした」。

 

 そして読み進めていくと、遂に、近藤と歳三が別れる日が来る。
歳三が「官といい賊というも、一時のことだ。しかし男として降伏は恥ずべきではないか。甲州百万石を押さえにゆく、といっていたあのときのあんたにもどってくれ」「時が、過ぎたよ。おれたちの頭上を通りこして行ってしまった。近藤勇も、土方歳三も、ふるい時代の孤児となった」「ちがう」歳三は、目をすえた。時勢などは問題ではない。勝敗も論外である。男は、自分が考えている美しさのために殉ずべきだ、と歳三はいった。が、近藤は静かにいった。おれは大義名分に服することに美しさを感ずるのさ。歳、ながい間の同志だったが、ぎりぎりのところで意見が割れたようだ、何に美しさを感ずるか、ということで。」歳三は函館に独立国を創ろうとする榎本武揚と共に戦う。敗戦濃厚の直前に近藤、沖田らが次々と亡霊のごとくやって来る。最後の軍議の最中、籠城を主張する大島圭介に対し、誰も味方せぬ時に軍議は必要なし、吾は出戦せんと啖呵を切った直後の 5 月 11 日。敵に取り囲まれる中で、最後に名を求められ「新選組副長土方歳三」と名乗って馬腹を蹴って跳躍した直後、歳三は遂に死す。6 日後に五稜郭は降伏開城。歳三一人戦死であった。