心に太陽を持て 山本有三編著者

昭和31年4月20日発行 昭和35年3月10日5刷

 

くちびるに歌を持て

 沈没した船の大勢の乗客が冷たい海の中で希望を持ち続けることが出来たのは、同じように溺れていた一人の女性の美しい歌声を聞き続けていたからだ。救助にやって来た人達もこの声で救出活動が上手くいった。

 

製本屋の小僧さん

 電磁誘導の法則を発見したファラデーは小さい頃は大変貧乏で小学校を終わるか終わらないうちに奉公に出て、13歳の時には製本屋の小僧になる。仕事に取り掛かる前か終わった後に手当たり次第に本を読んでいるうちに電気に興味を持ち、王立科学研究所のデイヴィ先生の講義を聞くと、その内容をノートに整理して書き付け、会いたい旨の手紙を出すと、デイヴィ先生から返信が来て、欠員が出たら働かせてもらえることになる。1か月余りたつと欠員が出来たので働きたいのなら来てくださいとの手紙を受け取り、研究所の生活を始めて立派な業績を残し、1867年8月25日、74歳で亡くなる。

 

リンゴのなみ木

 長野県飯田市は、大正末、昭和21年、22年と大火に見舞われ、22年の大火では町の80%が焼き払われてしまう。防火道路のためにリンゴ並木を植えたいという東中学校の生徒の発意で、当初、助役は栽培が難しく費用が掛かること、実がなっても盗まれてしまう危険があることから反対する。生徒たちは自分たちでお金を稼ぎ盗む人をなくすという理想を掲げて復興を達成しようと決意し、再度、助役に話を持ち掛ける。新しい助役は感動し、予算を組み、生徒たちも丹精込めて準備に当たりようやく実がなるものの、大半が盗まれてしまう。しかし新聞が取り上げてくれたおかげでその後も新入生に引き継がれて今に至っている。

 

スコットの南極探検

 アムンゼンに僅かに遅れて南極点に到着したスコット隊は帰路荒れた天候のために帰還することが出来なかった。彼らの遺体は8カ月後に救援隊に発見される。文字通り命がけの冒険隊であった。

 

エリザベスの疑問

 男女が平等に扱われないことに疑問を持ったエリザベス(エリザベス・ケーディ、後のスタントン夫人)は小さい頃から男性顔負けのごとく学びに学び、30歳少し越した頃には、遂に世界最初の「女の権利」の会合を開き、婦人解放運動の宣言を読み上げる。以来、50年もの長い間同じ叫びを続けた。

 

ミレーの発奮

 目を通して魂に触れる、人々の心をうつ本当のすぐれた絵を描くためには、ものの真髄を見通す深い目とそれを表すしっかりした腕とがなければならない。しかも天分を持った画家でも一生かけて骨身を削る修行をしなければならない。ミレーは貧しくとも逆境の中で苦しい修行を積んで遂に自分の道を切り開いた真実の芸術家と言ってよい画家の1人。最後はバルビゾンという小さい辺鄙な村に落ち着いて多くの有名な作品を残す。生きている農村の姿、働いている農村の人々をカンバスの上に描き出したミレーの絵はただ農村を写したとか農村の人々を描いたものではない。絵のうしろからほのぼのとしたものが響いてくる。これはいったい何なのだろう。

 

フリードリヒ大王と風車小屋

 「国王は国民の第一の公僕である」との言葉を残したフリードリヒ大王。ポツダムに作った離宮の庭の隅に風車小屋があったので何とか立ち退いてもらって見栄えを良くしようと説得するが、先祖代々の風車小屋から立ち退くわけにはいかない、もし王と雖も勝手にそんなことをすれば裁判所に訴える、判事は相手が王さまでも正しい判決を下してくれるというと、大王は人民が法を重んじ法に従う姿勢を持っていることに感動し、不格好な庭は人民の権利を尊重した結果だと思うことにすると述べて、今も風車小屋は保存されている(ネットで調べると今も風車小屋は堂々と建っているようだ)。

 

パナマ運河物語

 スエズ運河の後に、大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河が出来る。ルーズベルトパナマ運河建設を命じられたのはゴーサルズ。黄熱病やマラリア熱で労働者とその家族が大勢亡くなってしまうのを解決するため病原の研究に務め、遂に軍医ゴーガスがステゴミーヤという蚊に刺されると黄熱病に伝染することが突き止められ、蚊を根絶やしにするために80キロにわたって衛生環境を整え、ゴーサルズは誰よりも働いて遂に6年後に完成する。ゴーーサルズは大佐から2階級飛ばして少将に進級するが、自分だけ進級したことに対して同じ工事に働いた民間人が恩恵に預からないことに不満を漏らす。飛行機では数万トンの物を運ぶことはできないが、汽船はそれ以上に重い物を運搬できるので、貿易の増大、文化の交流は目覚ましい発達を遂げた。もっとも戦争の最中には大西洋艦隊がこの運河を通ることになるのだが。