核軍縮の現代史 北朝鮮・ウクライナ・イラン 瀬川高央

2019年11月1日第1刷発行

 

はじめに

【1986~2019】

第1章 核兵器廃絶への第一歩―中距離核戦力条約の成立と失効

   1 米ソ両首脳、核兵器廃絶の理想と現実

   2 日米協議、見直された核削減オプション

   3 史上初の核ミサイルの削減

     残念ながら、トランプ政権時代に、ロシアは開発中の9M729は条約に違反していないと主張するも、アメリカはロシアが条約を遵守していないことを理由にして、2019年2月1日、条約の運用を停止し、プーチン大統領も条約の義務履行の停止を発表したことから、INF条約は6カ月後の2019年8月2日に失効した。

【1991~2014】

第2章 「流出核」問題への対応―ウクライナの非核化

    1991年のソ連解体に伴い独立を回復したウクライナは、旧ソ連戦略核ミサイル176基(小型ICBMss-19が130基、鉄道移動式中型ICBMss-24が46基)、戦略爆撃機46機、核弾頭1592発が残され、イギリス、フランス、中国のすべての核兵器をあわせたよりも多くの核を持つ世界第3位の核兵器保有国となった。

    米国は連邦議会を中心に流出核対処法を成立させる一方でソ連の解体は急速に進み、独立を果たしたウクライナは1991年12月6日にウクライナ防衛法で非核化の意向を示し、対外政策としては非核国家及び中立国家として如何なるブロックにも入らない国家を目指し、旧ソ連が締結した国際条約の全てを遵守することを約束。

    その後、ウクライナでは核保有否定論と肯定論が登場するが、クリントン政権以降、非核化に伴う支援を提供する、経済協力を行う、安全を保証するとの政策の下で非核化を目指すことになり、1994年1月4日の3カ国声明(米、ロ、ウクライナ)により非核化に成功。いわゆる合理的抑止論により達せられたのではなく国際協調により達成。96年6月1日ロシアへの戦略核兵器の移送を完了し非核兵器国となる。

    ところが、2013年末、親露派ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領が解任されると、ロシアは危機感を抱きウクライナ東部にロシア軍の支援を受けた武装集団を侵攻させた。2014年3月のロシアによる一方的なクリミア併合、2018年5月にはケルチ海峡大橋の開通、2019年5月にゼレンスキーが大統領に就任、現在に至る。

コラム 核不拡散条約(NPT)の概要

 国連憲章締約国(加盟国)193カ国に次いで、NPT締約国は191か国(2019年4月現在)でもっとも普遍性の高い多数国間条約である。NPTに加入していないのはインド、パキスタンイスラエル南スーダンの4カ国のみである。不平等性を内包するが故に6条で核兵器国は核軍縮交渉に誠実に取り組むことが義務付けられ、8条で締約国が5年毎にNPT再検討会議を開く規定が設けられている。この会議は核兵器国が核軍縮の義務を履行しているかを定期的に確認するメカニズムと位置づけられている。

【1992~2019】

第3章 北朝鮮の核開発と非核化交渉―米朝首脳会談までの四半世紀

 2006年10月に初の核実験を強行し、2017年9月までに計6回の核実験を強行。加えて中・長距離弾道ミサイルの開発を進めている。一つの転機となっているのは、米国のBDA金融制裁を事実上の宣戦布告とみなして初の核実験に踏み切ったことだろう。もう一つの転機は2018年4月27日に南北会談が実施されて板門店宣言の合意に達するも、大統領補佐官ボルトンリビア方式に従うよう示唆したことで態度を硬化させた北朝鮮と、それでも2018年6月12日にシンガポールで行われた第1回米朝首脳会談に漕ぎつけるも、結局非核化と制裁解除の順序について認識のずれが露となり現在に至っている。

【2002~2019】

第4章 イラン核問題への対応―多国間交渉による核の合意

 イラン・イラク戦争を契機にイランは核兵器開発を決断。イスラエルの核保有の事実はイランに軍事的脅威を与える。穏健改革派ローハニが大統領となり、EU3+3との合意(包括的共同作業計画。JCPJO)が成立するが、その後米国はイラン制裁の再開を発表。トランプ政権となり米国はJCPJOからの離脱を表明し最高度の経済制裁を開始。

 

 今回のまとめは筆者の見解をまとめたものではなく、あくまで本書を読んだ当ブログ制作者が個人的にまとめたにすぎないものであることを特にお断りしておく必要がある。もとより当ブログは全て個人的な読後感なのですが、中でも核問題はとりわけセンシティブで複雑な経過を辿っているため、正確性を期そうとすれば逐一そのまま引用せざるを得ないが、それではコンパクトにまとられず、結果、一読者の独自の目線から個人的にまとめたものにすぎない。