風にのってきたメアリー・ポピンズ P.L.トラヴァース 林容吉訳

1954年4月25日第1刷発行 2000年7月18日新版第1刷発行 2020年12月4日新版第26刷発行

 

東風に乗って、こうもり傘につかまって空からやったきたメアリー・ポピンズ。桜通り17番地のバンクス家で子どもたちの世話をすることになった彼女はかなり風変わり。子どもたちにいつも絶えず優しくするわけでもない。「笑いガス」の章などは、ウィッグおじさんの家にジェインとマイケルの3人で訪れると、ウィッグおじさんだけでなくジェインとマイケルも笑い転げて笑いガスが体にたまってみんな机ごと宙に浮かんで食事をする、という奇想天外というかおよそあり得ない空想上の話が次々に展開していく。「わるい火曜日」では磁石を動かして東西南北を瞬時にかけまわってしまう。北極に始まり、ヤシの木がある黒人だらけの南の土地に移動したかと思うと、東の中国や西のインディアンの住む町にマイケルとジェインを連れて世界旅行をあっという間にしてしまう。

その中でも「ジョンとバーバラの物語」の章に出てくる、双子のジョンとバーバラの赤ん坊とメアリー・ポピンズとのやり取りが俊逸。ジョンとバーバラはムクドリが同じことばで話をしているのが分かるのに、ジェインやマイケルはそれが分からない、おかあさまやおとうさまにわかるとは思わないけど、ジェインやマイケルぐらいはわかりそうなもの、と言っていると、メアリー・ポピンズが「まえには、わかったんですよ」というと、二人は驚きの声を上げて「ほんとう?ふたりともわかっていたっていうの?ムクドリや、風や、それからー」。それに対してメアリー・ポピンズは「木のいうこちゃ、日の光のことばや、そして、星やーもちろん、わかったんですよ!まえにはね。」という。「どうしてみんな忘れちゃったの?」とジョンがいうと、「大きくなったからっです」とメアリー・ポピンズがわけをいう。ジョンもバーバラも「大きくなったって忘れやしないよ」というと、メアリー・ポピンズが「いえ、忘れます」と断言。小さい赤ん坊の頃には分かっていたことが大きくなるにつれて分からなくなってしまうことがあるという皮肉でもあり、人が成長するとともに命が汚れていくというようなことを暗示しているようでもあり、かなり印象的な場面が登場する。

「満月」の章では、深夜、動物園にジェインとマイケルがメアリー・ポピンズと一緒に出掛けると、動物が動物園を歩き回り、人が檻の中に入っている。その中でキング・コブラが「たべることも、たべられることも、しょせん、おなじことであるかもしれない。わたくしの分別では、そのように思われるのです。わたくしどもは、すべて、おなじものでつくられているのです。いいですか、わたしたちは、ジャングルで、あなたがたは、町で、できていてもですよ。おなじ物質が、わたくしどもをつくりあげているのですー頭のうえの木も、足のしたの石も、鳥も、けものも、星も、わたくしたちはみんな、かわりはないのです。すべておなじところにむかって、動いているのです。お子さんよ、わたくしのことを忘れてしまうことがあっても、このことだけはおぼえておかれるがよい」という。動物も人間も木や石もすべてつながっている、同じだというのは、哲学的な表現だと思う。単なる空想物語ではない。

そして最終章「西風ち」では、春の第一日が来て、西風が吹くと、メアリー・ポピンズはこうもり傘をさして再び空に舞い上がって突然いなくなってしまった。子どもたちはメアリー・ポピンズがいなくなって悲しがり「世界じゅうで、メアリー・ポピンズだけいれば、いいんだ!」と泣いてうつぶしてしまうが、大人たちは何も言わずに突然いなくなったメアリー・ポピンズに子供たちをほったらかしにしていってしまったことをなじる。お終いに、磁石はマイケルにあげ、メアリー・ポピンズが書いた絵はジェインにあげると手紙を残す。

 

 ジョンとバーバラの物語、満月に、作者の言いたいことが出て来ているのだと思う。空想物語の範疇には収まらない、大人が読んでも何かしら深みを感じさせるところがすごい。