西田幾多郎の哲学―物の真実に行く道 小坂国継

2022年5月20日第1刷発行

 

帯封「自己とは何か 求め続ける思想がここにある」「西田は『我々が実在を知るというのは、自己の外の物を知るのではない、自己自身を知るのである』といっている。しかし、その場合の自己とは、それ自身、無となった自己である。絶対無の自覚的自己である。だから西田は、それを『物となって見、物となって行う』立場であり、『物の真実に行く道』であるといっているのである」

表紙裏「西田幾多郎の哲学の根底には、つねに『自己が自己を見る』という『自覚』の考えがあり、それが『純粋経験』『絶対自由意志』『絶対無の場所』『絶対矛盾的自己同一』の思想や論理として展開されている。西田哲学の形成過程を『自己』の自覚から『世界』の自覚に至る自覚自身の深化と転回の過程として明確に説き明かす。」

 

西田哲学の根本性格は、第1に、真正の自己の探求である。第2に、真正の自己は、主観と客観が分離する以前の、あるいは超越した根源的実在である。第3に、こうした無差別的な思考様式は個物と一般者の関係についての見解にも見られ、相互に対立するものではなく、両者は相即相入の関係にある。第4に、超越的世界の存在を否定し、西洋の伝統的な形而上学を否定する。この点で一種の実証主義の立場に立っている。最後に、一種の唯心論である。

以上、一言でいえば、西田哲学はあらゆる差別を否定する思想である。それは仏教思想と同様、いっさいのものの無差別・平等を説く思想である。そのことを理解し会得するにはわれわれの自覚の側の自覚が要求される。その意味で自覚の哲学であり、プロティノスの哲学、スピノザの哲学と共響するところが多い(はじめに)。

 

ここまでは、何とかわかるような気がするが、本論に入っていくと、斜めに読んでいるだけでは到底理解できない。時間のある時に腰を落ち着けてじっくり読む以外にない。