昭和39年7月15日初版発行 昭和53年11月10日19版発行
巻末の編者の言葉によると、藤村詩、中でも『若菜集』は十分に抑制され詩句が磨きあげられながら、内に迸る情熱があって、完成が単な技巧的練達でない内的充実をもっているところに、及び難い均整と豊醇が生じているという。「詩歌は静かなるところにて想ひ起したる感情なりとかや」とワーズワースの言葉を引いて後に合本「藤村詩集」の序を書きつけているが、内からあふれるものを抑えに抑えて相剋するものの中に何とか若いの道を見出し、辛抱づよく生命の実現を待ち望む行き方に、その詩を形成した。
気にいった詩をいくつか記す。
知るや君
こゝろもあらぬ秋鳥の
声にもれくる一ふしを
知るや君
深くも澄める朝潮の
底にかくるゝ真珠を
知るや君
あやめもしらぬやみの夜に
静にうごく星くづを
知るや君
まだ弾きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音を
知るや君
胸より胸に 抄
思より 思をたどり
思より思をたどり
樹下より樹下をつたひ
独りして遅く歩めば
月今宵幽かに照らす
おぼつかな春のかすみに
うち煙る夜の静けさ
仄白き空の鐘は
俤の心地こそすれ
物皆はさやかならねど
鬼の住む暗にもあらず
おのづから光は落ちて
吾顔に触るぞうれしき
其光こゝに映りて
日は見えず八重の雲路に
其影はこゝに宿りて
君見えず遠の山川
思ひやるおぼろおぼろの
天の戸は雲かあらぬか
草も木も眠れるなかに
仰ぎ視て涕を流す
「早春」から(抄)
詩を新しくすることは、わたしに取っては言葉を新しくすることであった。
言葉を新しくすることは、先づ眠ってゐる言葉を起すことであった。