100分de名著 ニコマコス倫理学 アリストテレス 山本芳久

2022年5月

 

表紙「人生の究極目的を問う 二千年の時を超え、私たちを照らす不朽の古典。人はいかに生きるべきか? 単純にして根源的な問いを徹底的に考え、『幸福』を明確に定義してみせた西洋哲学史の金字塔。古代ギリシア最高の知性による思索を、平明に解きほぐす。」

 

カントの義務論的倫理学(人間は義務に基づいた行為をする必要があり、道徳法則に対する尊敬が重要であると主張)と対比する形で、アリストテレスの幸福論的倫理学は「幸福とは何か」「どうすればそれを実現できるか」を考える倫理学である。古代ギリシアに由来する哲学と聖書に基づいたキリスト教思想とを統合して新しいビジョンを作り上げたトマス・アクィナスを研究する著者はトマス・アクィナスを理解するために現在も日々ニコマコス倫理学を読み続けているという。

 

第1回 倫理学とは何か

    ニコマコス倫理学アリストテレスプラトンの学園アカデメイアで学んだ後、リュケイオンという自ら設立した学園で抗議のために作った草稿を息子のニコマコスが編輯したものと言われている。

    アリストテレスは、目的は連鎖するため、目的は手段にもなるが、究極的な目的だけは手段にはならない。それこそが「幸福になる」ことであるとする。

    また、学問は理論的学(自然学、数学、形而上学)、実践的学(倫理学政治学)、制作的学(詩学、弁論術)の3つに分類され、それぞれの領域において厳密性は異なるとする。

 

第2回 幸福とは何か

    幸福が実現する時期について、アリストテレスは、幸福は、はるか遠くにあるのではなく、「いま、ここ」の自分の行為に常に意味を与え続けており、そのような意味での究極目的としての幸福について述べている。

    アリストテレスは善を目指すべきだとは言っておらず、善を目指していると表現しており、善とは何かを探求することが肝要。

    アリストテレスは、善には道徳的善、有用的善、快楽的善の3つの意味があるとする。カントはこれに対し善悪と幸不幸は別の価値評定となり、アリストテレスは善という言葉を広く定義し過ぎていると批判し、幸福につながるか否かにかかわらず人間として果たす義務があり、人間としてやってはならないことがある、そういうことを考えるのが倫理学だと批判する。

    アリストテレスは最高善を論じるために3つの生活類型(快楽的生活、社会的生活、観想的生活)を展開する。快楽、社会における自己実現、真理の認識がそれぞれ幸福となるが、快楽的生活は安定的持続的幸福へと導くものではないから、社会的生活と観想的生活を考察の対象とする。観想的生活では理性を活用する生き方をすることにより幸福になる。また観想的生活では世界を知ることで喜びを見出している。

   全十巻で構成されるニコマコス倫理学は第1巻で人生の目的を、第2巻から第9巻までは社会生活でどのような仕方で徳を身につけ幸福な人生を実現していくかという議論が展開される。第2巻で「そもそも徳とは何か」、第3巻以降で具体的な徳の話に。第3巻は「勇気」と「節制」(対立する「臆病」「向こう見ず」、「放埓」「無感覚」など)、第4巻ではその他の細かい徳(「気前のよさ」「度量の大きさ」「温厚」など)、第5巻で「正義」(「不正」)、第6巻で「思考の徳」(理性を磨くことで身についてくる力、特に「賢慮」)、第7巻で「抑制のなさと快楽の本性」、第8巻と第9巻で「友愛」、第10巻で観想的生活の重要性が論じられている。最後に究極的な幸福は観想的活動によってこそ得られる。

   最も重要な「枢要徳」は、「賢慮」(思慮・知慮)=判断力、「勇気」=困難に立ち向かう力、「節制」=欲望をコントロールする力、「正義」=他者や共同体を重んじることのできる力の4つ。

 

第3回 「徳」と「悪徳」

    技術も徳も繰り返すことで身につく。性格は活動の反復から生まれる。

    欲望の在り方自体、変容するから、どういう選択肢を選んで生きたいかという心の在り方自体を成熟させていくことで、節制ある人(健全な欲望しかなければ葛藤は起こらない)、抑制ある人・抑制ない人・放埓な人となることができる。

    物事についての人々の感じ方が千差万別であるが、同時に収斂していく方向性、より充実した喜びを得られる方向性があることを認めるアリストテレスの立場によれば、徳を身につけることで初めて達成することの出来る充実があり、そうした仕方で人間存在としての可能性を十全に実現した在り方こそ彼が言うところの幸福の人生である。

    臆病と向こう見ずの中庸が「勇気」であり、放埓・不節制と無感覚の中庸が「節制」でる。要するにど真ん中を射抜くこと、一つひとつの選択においてよくよく考えて選び抜きど真ん中を射抜くことこそ「中庸」である。

 

第4回 友愛とは何か

    愛されるものとは①善きもの②快いもの③有用なものの3つの種類がある。

    友愛が成立する3つの条件とは①相手に好意を抱く②その好意が相互的なものである③気づかれている、の3つが揃ったときである。

    友愛には3種類ある(①人柄の善さに基づいた友愛②有用性に基づいた友愛③快楽に基づいた友愛)。アリストテレスの言う人柄の善い人というのは、人間として充実した在り方をしており、そのことに喜びを抱きつつ日々の生活を送っている人のことである。

 

分厚いニコマコス倫理学は何度か読もうとして挫折した苦い思い出がある。ニコマコス倫理学の入門として、こんなに分かり易い本があったなんて知らなかった。もっと早くこの本に出会っていれば、きっと読み通すことができたように思う。今年はもう一度ニコマコス倫理学の通読にチャレンジしてみようと思う。