2005年12月10日発行
後年⑦手塚治虫が「あの本に描きたかった」と言っていた「冒険少年」。大いなる創造力と逞しい空想力で、明るい平和な未来を、次代の子供たちに育んでもらおうと、新スタイルの少年誌「冒険少年」を発行したのは戸田城聖という人物であった。戸田の情熱に共鳴し、科学者であり作家の①海野十三が渾身の力をふるって空想科学物語を書き始めた。これに、もうひとつのコンセプトであったビジュアルとしての挿絵を②小松崎茂が描き始める。彼の未来志向の挿絵は、読者であった子供たちを完全に魅了。冒険活劇物語の挿絵で、小松崎のライバルとなったのが「少年王者」の③山川惣治。同時期、手塚漫画の原点となった作品を描いていたのが「黄金バット」の④永松健夫であり、「ミスターロボット」の⑤杉浦茂、「不思議な国のブッチャー」の⑥横井福次郎である。この七人の作家を「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼んでいくことにしたい。
「冒険少年」(昭和23年1月~、日本正学館)
戸田城聖編集長 「面白くてためになる」というコンセプト
10月号3万部、11~12月号4万5千部、14年1月号5万部
海野十三、小松崎茂のコラボ「怪星ガン」や山岡荘八の短編や野村胡堂の連載など。
昭和24年10月号から「少年日本」に改名(12月号で廃刊、池田大作編集長)
Vs
サンケイ新聞に「少年ケニア」を連載した山川惣治が「銀星」「ノックアウトQ」
「少年画報」に連載された永松健夫「黄金バット」、手塚治虫「マグマ大使」
横井福次郎「冒険ターザン」の他、漫画やイラスト等の連載を20~30本持っていた売れっ子作家
杉浦茂『冒険ベンちゃん』『アップルジャム君』など
「希望の友」(昭和39年創刊)は、手塚治虫「火の鳥」や「ブッダ」(12年間)連載。
手塚作品の中には、昭和25年ファウスト(富士書房刊)、昭和28年罪と罰(東光堂)なども。
手塚治虫に多大な影響を与えた6人の漫画家を中心に添え、歴史的証言を多く取り入れた書物。
漫画の表紙や印象的なコマが沢山掲載されており、歴史を感じさせるとともに、特に手塚作品については多すぎて一々紹介できないが、ふんだんに手塚作品が紹介されている。