「大岡裁き」の法意識 西洋法と日本人 青木人志

2005年4月20日初版第1刷発行

 

表紙裏「現在、この国では法と裁判のあり方をめぐる「第三の司法改革」が進行中である。法科大学院の開設、平成21年をメドに始まる裁判員裁判など、法の現場は大きく変わろうとしている。日本人にとって法とは何か?西洋法を継受する過程で、この国は何を取り入れ、何を棄ててきたのか?そもそも、法はわれわれの法意識に合ったものなのだろうか?長年にわたり議論されてきたこれらの問題を、改めていま問い直す。」

 

序章 法文化改革の試みとしての司法制度改革

第1章 穂積陳重の外見の変遷と日本法の歩み

第2章 日本人は西洋法とどう向き合ってきたか

第3章 西洋法の継受と法文化の葛藤

第4章 日本人の法意識―大岡裁きと自己責任

終章 法とどう向き合うか

 

・当初日本はフランス民法を成立公布したが施行しなかった。ボアソナード民法を施行するか否かで英法派と仏法派が激しく対立し英法派が勝利を収めたが論争終了後にフランス民法にとってかわったのはドイツ民法であった。

・昔の学生は、仏語、英語、独語で勉強していた。話す言葉も日本語ではない。相当優秀な人だけが学生だった。それもそのはず海外から教師を招いて学ぶしかなかったのだから。

・外国語を翻訳する際、一定のずれが生じる。ドイツ語のRechtは日常的に「正」「直」という意味をもち、更に「法」という意味を持つが、これを権利と訳したために「正」「直」という意味が日本語から抜け落ちてしまった。

・拷問は明治8年まであった。それも裁判官がためらうことなく拷問を加えていたことを証言していた。拷問廃止を建議したボアソナードの行動を明治33年になっても揶揄し続けていた。

・野田良之氏の議論―日本では法が好かれない(『日本法入門』)、と、川島武宜氏の議論-法的社会行動と法意識(『日本人の法意識』)とを比較する形で論を進めている。

津地裁での原告・被告両代理人のコメント、大阪地裁を大岡裁きと報じた新聞、大木雅夫氏の日本人の法意識・権利意識の弱さへの批判、それに対する村上淳一氏の反批判を取り上げている。それに対し「法と経済学」の手法を使って議論を展開したラムザイヤーの議論が説得的であるとしつつ、「法文化」を積極的に主張するフリードマンとそれを批判するコレルタの議論を紹介している。

・「よきサマリア人の法」と呼ばれる一連の立法例がアメリカのすべての州にあることから、西洋法には市場原理だけでなく人間紐帯や社会連帯が意識されており、西洋の個人主義がバラバラの無秩序社会があると悲観することは西洋法の一部しか見ない誤りを犯している、西洋法の自己責任・自己功績の原理が血肉になるような日本文化をどう育てていくか、法と向き合うことは自分と向き合うのと同じくらい勇気がいる、と述べて、勇気を出して法と向き合おうと結論づけている。

 

今からすると、本書発行時には、一種の熱に浮かれたような状態で司法改革が一気に進んだの時代の流れを踏まえつつ、その底流にあるものを見据えながら、落ち着いた議論を展開しようとしているところには共感が持てる。