大河への道 立川志の輔

2022年3月20日初版発行

 

裏表紙「立川志の輔の超人気演目である新作落語『大河への道-伊能忠敬物語-』の小説版。伊能忠敬の故郷、千葉県香取市の市役所に勤める池本は、観光振興策として『大河ドラマ推進プロジェクト』を任せられ、NHKに提出するあらすじを脚本家に依頼するが、伊能図が将軍に上呈されたときにはすでに忠敬が亡くなっていた事実を知る。奇想天外にして感動の歴史物語。2022年公開映画『大河への道』の原作。」

 

歴史資料に関する資料は「慶長遣欧使節関係資料」(仙台市博物館)と「琉球王国尚家関係資料」(那覇市歴史博物館)の2点しかなかったが、伊能忠敬関係資料も国宝指定(1957年に215点、2009年には更に2000点が追加)された。

伊能忠敬については今さら説明の必要もないだろう。この本の良さは伊能忠敬が日本全国の地図をなぜ作ろうとしたのかという動機に迫ろうとしたが、結局解明できなかったというところに主眼があるのではない。伊能忠敬の死後、忠敬の死を隠したまま、忠敬の師の高橋至時の子高橋景保が忠敬の遺志を継いで大日本沿海輿地全図地図(大図214枚、中図8枚、小図3枚)を完成させて将軍に上呈したという事実に注目して、感動的な物語に仕上げたところにある。忠敬はみずからの足で全国をくまなく歩き、測量を終えた後、地図の完成を待たずして死んでしまう。この大事業にはとてつもなく多額の金がかかっており、忠敬の死が明らかになれば、地図が完成しなくとも事業中止の憂き目に遭う可能性があった。景保はもしバレたら当然死罪となるのを覚悟して忠敬が亡くなったことを伏せて(一人の偉大な人物の死を3年も伏せること自体大変な事だ)遂に地図を完成させる。千畳敷と称される大広間に214枚の地図を並べ将軍に披瀝した後、忠敬がどこにいるかと詰め寄られた景保は「私の隣に座しております」と答えると、将軍は確かに忠敬の座っている姿をみとめ、「伊能忠敬、余が見えるか。若くはない身で、大儀であったのう…」と声をかけると、景保の目から涙が溢れ出す。「余の国の姿、しかと見届けた。余は満足じゃ。その片はもう、ゆっくり休め」。嗚咽を堪えきれない景保の耳に忠敬の声が聞こえる。「ありがたき、幸せにございます」

新作落語とは言え、こんなに感動的な話に仕立て上げるとは! さすが志の輔さんです。私の一押しの落語家です。