小泉信三 -天皇の師として、自由主義者として 小川原正道

2018年11月25日発行

 

帯封「戦前はマルクス主義批判の知識人、慶應義塾長、戦後は皇太子教育の全権委任者として知られたオールド・リベラリストの生涯 天皇の考えは、小泉とともにある」「美智子妃を迎え、象徴天皇制を作った男 戦前は自由主義経済学者、マルクス主義批判の知識人、慶應義塾長として知られた小泉信三(1888~1966)。戦中は好戦的発言を繰り返す中、空襲で全身火傷を負う。戦後は皇太子教育の全権委任者として、敗戦で揺らぐ皇室を支え、美智子妃を迎えるなど象徴天皇制の基盤を作った。本書は、国家主義の台頭、戦争、敗戦という激動の中、国家のあり方を問い続け、オールド・リベラリストの生き方を貫いた小泉の生涯を描く。」

 

・小泉は1950年1月、次のように述べている。自分はあの戦争に反対であったと数えきれない人が口々にいう。それは嘘ではないが、ではなぜ、あの戦争が起きたのであろうか。原論の自由がなかったからか。では、言論の自由を守るのは誰か。我々自身ではないのか。孔子は、「義を見てせざるは勇なきなり」と述べたが、これこそがまさに「不勇」の一例ではないだろうか(「善い言葉」『郵政』)。

・小泉は、学習院高等科2年の皇太子への進講をはじめるにあたり、「今日の日本と日本の皇室の御位置及び其責任」ということをお考え願いたいと述べた(御進講覚書)。

・『ジョオジ五世伝』を進講した理由について、小泉は王の「誠実と信念」の一貫が英国民に安定感を与えた、その点を皇太子も学んで良いものがあると思う、立憲君主は道徳的渓谷者たる役目を果たすことができ、そのためには君主が無私聡明、道徳的に信用ある人格として尊信を受ける人でなければならぬ、と応じた(立憲君主制、心)。

木戸幸一宛の小泉の書簡に「尊兄から、殿下方々は十分人にお接しになる機会が乏しいから、どうしても文学をお読みになる必要があると思う。牧野さんが老化しなかったのはよく文学を読んだからだ、といわれ、〔中略〕その後皇太子殿下にもその事を申し上げ、殿下にも御首肯の模様でした」と報告し、一緒に読んだものとして幸田露伴『運命』、志賀直哉『城の崎にて』などがあげられている。

 

慶応出身者で小泉信三の名を知らぬ者はいないという。戦前、戦後で日本にとって大事な一人の人物だったということを改めて知る。