昭和58年12月2日1版1刷
①虚業と実業
②自慢ごと
③「大津順吉」
④新聞小説愛読
⑤文学少年
⑥直哉沈黙の秘密
⑦漱石の批評
⑧中学生活
⑨父に抵抗
⑩祖父
⑪神風隊連判状
⑫下宿生活
⑬米騒動
⑭父の死
⑮敬愛と敵対
⑯結核
⑰直哉から返書
⑱直哉に会う
⑲望外の成果
⑳大震災
㉑直哉の閲
㉒“学外活動”
㉓「二月の蜜蜂」
㉔低迷
㉕奈良・鷺池の夜
㉖西鶴の現代語訳
㉗直哉の現代語訳
㉘直哉の叱咤
㉙「鴨気眼鏡」
㉚芥川賞
㉛一本の道
・志賀直哉の大正元年9月発行『中央公論』「大津順吉」を読んで小説がこれほどの感動を与えられるのかと驚いたことが作家尾崎一雄の誕生を促した。小学校3年より新聞を読み始め、小田原中学卒業後、法政大学に籍を置き、大橋図書館通いを始めた。父の死後、早稲田へ入り、志賀直哉に手紙を書き、京都に会いに行った。以来、毎年のように志賀直哉の家を訪ねた。「志賀直哉日記」に私の名が出るようになった。友人9名とともに同人雑誌『主潮』を創刊した。関東大震災で被害を受け、郷里の者と音信を断ち、内縁の妻を東京に置き去りにした。書けなくなった私は志賀直哉を訪ね、尾崎の仕事を手伝い、西鶴現代語の仕事に専念した。これを機に仕事の梶を取り直した。私が芥川賞になったことを志賀直哉が今年の良いこと3つのうち1つにあげてくれた。(昭和58年3月31日死去)