①フーコーは、「いま・ここ・私」をもっとも根源的な思考の原点と見なして、そこにどっしりと腰を据えて、その視座から万象を眺め、理解し、判断する知の構えを、「人間主義」と呼んだが、この人間主義的な進歩史観に異を唱える(81p)
②バルトは、ある制度が「生成した瞬間の現場」、つまり歴史的な価値判断がまじり込んできて、それを汚す前の「なまの状態」のことを、「零度」と術語化した。
構造主義とは、さまざまな人間的諸制度(言語、文学、神話、親族、無意識など)における「零度の探求」であるということもできる。
「象徴」とは、それが指示するものと、何らかの現実的な連想で結ばれている。
「記号」は、「しるし」と「意味」がセットになってはじめて意味がある。「しるし」と「意味」のあいだには、いかなる自然的、内在的な関係もない。そこにあるのは、純然たる「意味するもの」と「意味されるもの」の機能的関係だけである。
③レヴィ=ストロースは、近親相姦が禁止されるのは「女のコミュニケ―ション」を推進するためである、と説く
④ラカンは、人生で2度大きな「詐術」を経験することによって「正常な大人」になる。
構造主義はとてもわかりにくいが、それでも平たくわかりやすく書いた入門書であり、俊逸の出来だと思う。