寝ながら学べる構造主義 内田樹

構造主義というのは、「私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです」(25p)

ヘーゲルマルクスフロイトニーチェが「地ならし」した構造主義前史を述べた後、①フーコー、②バルト、③レヴィ=ストロース、④ラカンを「四銃士」と呼んで構造主義を鳥瞰していく。

フーコーは、「いま・ここ・私」をもっとも根源的な思考の原点と見なして、そこにどっしりと腰を据えて、その視座から万象を眺め、理解し、判断する知の構えを、「人間主義」と呼んだが、この人間主義的な進歩史観に異を唱える(81p)
②バルトは、ある制度が「生成した瞬間の現場」、つまり歴史的な価値判断がまじり込んできて、それを汚す前の「なまの状態」のことを、「零度」と術語化した。
構造主義とは、さまざまな人間的諸制度(言語、文学、神話、親族、無意識など)における「零度の探求」であるということもできる。
「象徴」とは、それが指示するものと、何らかの現実的な連想で結ばれている。
「記号」は、「しるし」と「意味」がセットになってはじめて意味がある。「しるし」と「意味」のあいだには、いかなる自然的、内在的な関係もない。そこにあるのは、純然たる「意味するもの」と「意味されるもの」の機能的関係だけである。
レヴィ=ストロースは、近親相姦が禁止されるのは「女のコミュニケ―ション」を推進するためである、と説く
ラカンは、人生で2度大きな「詐術」を経験することによって「正常な大人」になる。

構造主義はとてもわかりにくいが、それでも平たくわかりやすく書いた入門書であり、俊逸の出来だと思う。