LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の戦い ジェローム・ポーレン 北丸雄二訳(その2)

2019年12月21日第1版第1刷発行

 

第5章 1970年代 街へ出よう

     ゲイ解放戦線、ゲイ活動家同盟が誕生。1970年、同性婚が禁止されていることに対する最初の異議申立がミネソタ州ミネアポリスで起きる。最初は認められなかったが、2度目の挑戦では他方が女性だと勘違いして結婚許可証が発行。ミネソタ州は裁判を起こさず完全無視を決め込んだ。「レズビアンとゲイたちの親と家族と友だち」(PFLAG)が立ち上げられ、今日、LGBTを理解し支援できるようアメリカと世界に計350以上の支部を持つまでに発展。DMSでは1970年当時、同性愛を精神疾患として記載されていたが、1973年、DMSの疾患リストから同性愛を外す。レズビアントランスジェンダー・コミュニティ間の亀裂が拡大。1977年11月、ゲイのハーヴィー・ミルクがサンフランシスコの市政執行委員の選挙で最高得票を得て当選。ゲイライツ法案を可決させる。が、翌年凶弾に倒れる(その後、この犯人が第一級殺人罪ではなく古殺罪で有罪となったことにゲイ・コミュニティは爆発しホワイト・ナイトの暴動が起きる)。小学校教諭だったトム・アムアーノは自らがゲイであることをカムアウトし、LGBT教職員にも雇用保障規定を追加するよう働きかけ、市教委の長にもなり、サンフランシスコ州下院議員にも当選。

 

第6章 1980年代 エイズと保守の巻き返し

     人気俳優のロック・ハドソンが1985年の夏自らがゲイでHIV陽性をカムアウトしその空10月2日に亡くなる。ハドソンと友人だったレーガンは2週間後に初めて公の場でエイズという単語を口にする。既に15000人がこの病気で死んでいた1986年6月30日、連邦最高裁憲法がゲイやレズビアンの米市民が親密な個人生活を持つ権利を保障していないと断じる判決を下しLGBTコミュニティに強烈なパンチを食らわせた。各地で抗議集会が行われ、ラリー・クレイマーをはじめ初期のリーダーはACTUPを立ち上げ1987年10月、レズビアンとゲイの権利を求めるワシントン国民大行進(首都に終結した人は65万人を超えた)を実施。10月11日は全米カミングアウトの日と定められる。エイズ対策に無策の政府やLGBT差別禁止法の成立を阻もうとしていたオコナ―枢機卿への大胆な抗議活動が巻き起こる。

 

第7章 1990年代 揺り戻し、そして勝利

     クリントン時代の1995年4月25日、80万人のLGBとアライたちが首都に終結LGBT公民権が後退を余儀なくされたアメリカを尻目に、1989年にはデンマークで同性ユニオンが世界で初めて合法化し、続いてノルウェイスウェーデン南アフリカ共和国が続く。有名な俳優サー・イアン・マケ―レンはゲイライツ組織の共同設立者で、英国KGBTコミュニティのリーダーになり、1991年オープンリー・ゲイ男性として初めてナイトの爵位を授与された。その中でLGBTの団体・組織が爆発的に誕生し多様性を帯びていく。テレビ番組でもゲイやレズビアンの登場人物が見られるようになり、高校でもゲイとストレートの同盟が設立されたり、他方でボーイスカウトでは問題も生じたりした。

 

第8章 2000年~現在 いまよりすべてがよくなるさ

     2001年9月11日、犠牲者リストの第00001号として記載された神父ファーザー・マイクも、ユナイテッド航空93便のハイジャッカーと戦ったマーク・ビンガムも、ゲイだった。2996人の中には大勢のLGBTの人々もいた。1997年7月22日、ベイカー訴訟でカップルの結婚許可申請書が拒否されたことは差別であると州最高裁は認定。連邦最高裁も遂に2003年に同姓カップルに結婚を提供する州法を整備せよと命じた。隣のカナダでも2003年6月10日オンタリオ州控訴裁判所は同姓カップルと異性カップルを差別することが憲法違反であるとして、2005年にはカナダ全土で同性間の民事婚が合法化される。ブッシュ時代の軍隊での「聞くな、話すな(ドント・アスク、ドント・テル)DADT」も2010年9月9日カリフォルニア連邦判事による違憲判決が出る。毎年10月第3木曜日は魂の日(紫色の服を着ることでLGBTの若者への支持を示す)、4月半ばは沈黙の日。スポーツ選手のアライ宣誓も広く行われている。オバマ政権となり、クリントン国務長官が国連人権デイの演説で「ゲイライツはヒューマンライツヒューマンライツはゲイライツだ」と演説。

2013年ウィンザー事件で連邦最高裁は結婚防衛法の殆どを葬り去り、2014年連邦最高裁同性婚禁止法が違憲であることを下級審が議論を尽くして合意しているから上告の案件は審理しない旨を発表する。もっともアメリカは2015年10月の時点では50州のうち28州はゲイ・レズビアンを理由に解雇することに問題はなく合法とされておりまだ戦いは続く。

 

終章 日々のヒーロー

    「決して疑ってはいけない、思いやりにあふれた小さな市民の集団が、世界を変えることができるのだということを。実際、唯一それでしか世界は変わってこなかった」-マーガレット・ミード

    

訳者あとがき 平等を諦めない人たちの記録―作用と反作用の行方

 本書刊行2015年以降、2019年10月までに何が起きたか。トランプ政権による公然たる反LGBT施策を背景に、白人至上主義、男性主義といった時代を逆行する反PCの風が吹き荒れる。2020年の大統領選挙には民主党候補の中にゲイ男性サウスベンド市長が登場。日本は渋谷がパートナーシップ証明書を交付するようになった2015年前後から急ごしらえで理解が進んだかのようになっているが、日本のLGBT問題の空白を埋めてくれるのが本書である。これからの歴史を書き足していくのは「あなたたち」である。

 

 

LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の戦い ジェローム・ポーレン 北丸雄二訳(その1)

2019年12月21日第1版第1刷発行

 

表紙裏に「ピンクの三角形、ラヴェンダー狩り、ストーンウォールの反乱、ハーヴィー・ミルクの暗殺、エイズ危機、ヘイトクライム、数々の裁判、同性婚の実現・・・。LGBTの権利を求めて闘った100年にわたる歴史は、一進一退を繰り返しながら、一歩ずつ一歩ずつ、時には劇的に、前へ前へと進められてきました。そこには、決して諦めることのなかった、有名無名を問わないたくさんの『ヒーローたち』の活躍がありました。歴史をつくるのは、人なのです。人と人のつながりが、歴史を動かし、未来を切り開いていくのです。」とある。

第1章 1900年まで 歴史をざっとおさらい

    ソクラテスプラトンはともにゲイ。レズビアンの由来はサッフォーが若い女性だけが入れる学校をレスボス島に作ったところにある。アレキサンダー大王もバイセクシャル。古代中国でも哀帝と董賢の愛情の深さを示す「断袖の契り」という言葉がある。ハドリアヌス帝もバイセクシャルダ・ヴィンチミケランジェロもゲイ。ホイットマンもゲイ。

エマーソン、ソロー、オルコットらがゲイ、レズビアンバイセクシャルだったかどうかは今も議論されている。

第2章 1900年~1930年代 運動の始まり

    1915年、エマ・ゴールドマンオレゴン州で「中間の性:同性愛をめぐる議論」をテーマに講演をした。アメリカでこの話題について講演が行われたのは初めてだった。

    1931年、アメリカ女性初のノーベル平和賞を受賞したジェイン・アダムズ。ロンドンの世界初のセツルメント・ハウスを訪れたのをきっかけに、シカゴでハル・ハウスを立ち上げ、16歳未満の子どもたちの就労を違法化することに成功し、全米黒人地位向上協会アメリカ自由人権協会の創設メンバーに加わった(メアリー・ロゼット・スミスとは死ぬまで40年間パートナーだった)。

    世界で初めてのゲイ人権運動組織は1897年5月にドイツで生まれる(ヒルシュヘルト)。恥辱的的条項撤廃の署名活動にはアインシュタインフロイトトルストイトーマス・マン、ヘッセらも名を連ねる。アメリカでは1920年代にヘンリー・ガーバーがゲイの権利に関するニュースレターを初めて刊行。フランスではパリでスタインとトクラスのカップルのサロンにヘミングウェイピカソマティスらが参加。

    世界初の性転換手術は1930年ベルリンで行われる。男の子として育てられたヴィーグナーはゴトリブと結婚するが、後にエルベと名乗って女性として生きるようになり、世界初の性転換手術を受けた。最も有名なレズビアン小説『さびしさの泉』は英国で出版差し止めになるがアメリカにも持ち込まれた。がレズビアン小説の5倍以上のゲイ小説が1940年代までに書かれていた。

第3章 1940年代~1950年代 暗闇の中で

     エニグマを解読したチューリングオスカー・ワイルドと同じ罪で有罪となり公職を追われて自殺。2009年に英国は正式に謝罪、エリザベス女王も2013年に有罪を撤回する恩赦に署名する。1948年にキンゼイ報告出版(10人に1人がゲイであることを明らかにする)。1951年にはコーリー「アメリカにおける同性愛」出版。ところがアイゼンハワー大統領による弾圧が始まる(共産主義を疑われて解雇された人の2倍が解雇される)。1953年にはデンマークで性転換手術を受けたジョーゲンセンはアメリカに帰国するとスーパースターのような扱いを受ける。1955年にはアメリカではじめてのレズビアン組織が立ち上がる。

 

第4章 1960年代 クローゼットから出て

     1962年、ランディ・ウィッカーはゲイの人権デモを組織し抗議デモを実施。

     様々な団体が組織され、抗議デモを大胆に実施する。1968年、フランク・カムニーは初期LGBT公民権運動のキャッチフレーズ「ゲイはグッドGay Is Good」を思いつき、プラカードを掲げてデモ行進を実施。LGBTの暴動で最初に記録されているものは1959年5月のもの。1963年のワシントン大行進を組織したベイヤード・ラスティンもゲイであったたため、彼を外すように求められたが、キングはラスティン側に立って予定どおり大行進が実施される。今では世界最大となったLGBT教会「メトロポリタン・コミュニティ教会」(MMC)は1970年から挙式を執り行い、今日では世界37カ国、計222教会にまで拡大している(2019年9月現在)。世界中で2000万部も売れた絵本『かいじゅうたちのいるところ』の作者モーリス・センダックもゲイ。同性愛者を扱ったCBSのテレビ番組が初めて放送されたのは1967年。全米放送されたトーク番組の司会者ドナヒューはLGBTコミュニティをきちんと扱う。

(続きは明日)

マルクス詩集  井上正蔵訳

昭和 54 年 6 月 15 日初版発行 昭和 55 年 3 月 25 日 2 版発行

巻末の訳者の「マルクスの詩作について」によると、「特筆したいのは、マルクスの幻視や空想の飛翔の正反対ともいうべき現実直視と批判精神の躍動が、かれの当時の詩作に見られることである。それは主としてベルリンの市民生活に根ざしているものであった。学者や芸術家、演劇や文化など、直接間接、接触した対象に対するするどい考察や批判があらわれている」、「マルクスを人間的に、いや全人的に知ろうとするならば、マルクスを感覚的に読むことが大切であるといわなければならない。こういう意味でお、初期のマルクスの詩は大きくクローズ・アップされなければならない」という。

 

探究リート
ぼくは起ちあがった。もうこれ以上縛られてはいない。
「どこへ行くおつもり?」「世界を見つけにさ!」
「ここには、ゆたかな牧場が一杯あるじゃないの?
下には波、上には星のたわむれ。」
「馬鹿だな、ぼくの旅はあの世へ行くわけじゃないんだよ、
君が砕けようと、空が響こうと。
ぼくは黙ったまま、元気よく足が運ばなかった。
愛の言葉が重い鎖になって。」
「世界は、ぼく自身から現われ出るべきだ、
そして、ぼくの胸へ、それから内部へ降りるのだ。
ぼくの生の流れは潮の跳躍、
ぼくの魂の息は大気の殿堂。」
ぼくは遠くへさまよい、また帰ってくる、
ぼくは世界を担ったり下ろしたり、
そこは星や太陽が躍った、
そして閃光が走り、すべては沈んだ。
不道徳な文学と神秘的な文学

 

きみたちをよく見ると、一つの源泉から
きみたちの濁った水が流れてきている、
きみたちは二人とも決して明るくはならない、
きみたちは破滅の海へ流れ入る。
きみたちは疑いもなく近親者だ、
なぜなら、きみたちがやるのは大胆な嘲り、
きみたちの一人は悪魔とふざけ合う、
他の一人はー神と。

 

やはり詩心を持つという事は大事なことだと改めて思う。

この人を見よ!24 歴史をつくった人びと伝 与謝野晶子 プロジェクト新・偉人伝

2009年12月10日第1刷

 

与謝野晶子物語 坂口結美

 情熱の歌人「まことの心」を歌った天才女流歌人

 

与謝野晶子の生きた時代

 Stage1(1878-1899)

  和菓子屋の娘に生まれて

  家業を手伝いながら、文学に目覚める

  与謝野寛の歌に刺激を受ける

  晶子をひきつけた与謝野寛とは

 Stage2(1900-1907) 恋の歌で衝撃のデビュー

  一度会った人に29通のラブレター

  はげしい恋の歌で衝撃のデビュー

  戦時中に反戦の歌?

  恋愛歌集の発行に大学がクレーム

 Stage3(1908-1915) 西洋女性の生き方に共感

  一時代を築いた「明星」が終刊

  落ち込む夫を留学で元気づける

  活動的な西洋の女性に衝撃を受ける

  夫婦そろって選挙活動

 Stage4(1916-1928) 世の女性にもの申す

  母性保護をめぐり大論争

  女子教育の理想を求めて

  関東大震災がもたらした大打撃

  みずから設計した終の住処

 Stage5(1929-1942) 夫を見送り、永遠の愛を知る

  生誕50年のお祝いはささやかに

  寛の棺をの前に込めた願い

  晶子版『源氏物語』が完成

  最期まで自由と自立をつらぬく

 

人物ズームイン

 与謝野寛 北原白秋 高浜虚子 高村光太郎 森鴎外 山川登美子 平塚らいてう 

 大町桂月 西村伊作 有島武郎 石川啄木 岡本かの子 オーギュスト・ロダン

人生のターイングポイント

 Point1 本に夢中の少女時代

 Point2 初恋が歌の世界をひらく

 「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」

 Point3 ついに運命の人と出会う

 Point4 西欧の新しい風にふれる

 Point5 歌を残して火の鳥が旅立つ

 

発言・証言 与謝野晶子

 歌はもっと自由でなければならない。

 本当の友だちと呼べる人はいません。

 誰かよりも偉くなろうと思ったことはありません。

 まことの心を歌うことが歌の生命。

 東洋の女は静止的である。

 お金はなくても空想するのは自由です。

 人の一生はそんなに生やさしいものではありません。

 落ち葉はほんとうに汚いものですか?

 歌の専門家にはならずアマチュアでいなさい。

 歌が私の日記だから。

 貨幣や職業の奴隷にならずに。

 女には坐禅は必要ない。

 ごめんなさい、教育しか残せずに。

 歌をつくるために生まれてきた人(斉藤茂吉

 紫式部も、一目置いたに違いない(森茉莉

 

今に生きる与謝野晶子

 ひと~平成の源氏ブーム

 こころ~晶子の詩に旋律を

  「青鞜」(せいとう)とは、18世紀半ば、イギリスのサロンで男性と対等に議論をたたかわせた女性が青い靴下をはいていたことから、「学識があり、自分の意見を持った女性」を指す言葉として使われる。

 もの~故郷に建つ文芸館

  堺市の「与謝野晶子文芸館」には『みだれ髪』の初版本も展示されている。

  『みだれ髪』の表紙には画家藤島武二が日本版ミュシャともいえるデザインを施す。

  義娘の道子に「言葉が豊富になること。そのためには本を読むように心がける。たとえば、“美しい”という形容詞と同じ言葉を少なくとも5種類は知っていないといい歌はつくれません。5種類知っていれば、その中で最適だと思う言葉を選んで、あなたの感じたことを歌にできます」と述べた。

  吉岡しげ美は「君死にたまふこと勿れ」『万葉集』『枕草子』『百人一首』などに曲をつけた歌手。映画は「華の乱」(松田優作有島武郎を、吉永小百合が晶子を、緒形拳が寛を演じた)。

 

 与謝野晶子を知るには良い教材です。

女の人権宣言 フランス革命とオランプ・ドゥ・グージュの生涯 オリヴィエ・ブラン 辻村みよ子・訳

1995年12月18日第1刷発行

 

表紙裏「フランス革命の人権宣言の『人』は『男』であって、女の人権が含まれていなかった。これを最初に批判し『女性の権利宣言』を書いたのがグージュ(1748~93)である。劇作家でもあり、美しく才気に恵まれたグージュだったが、最期は反革命の汚名をきせられ、ギロチンの露と消えた。その波乱の生涯をここに初めて明らかにする」

 

訳者解説「オランプ・ドゥ・グージュ ー女性の権利宣言を書き、ギロチンの露と消えた グージュの波瀾の生涯とフェミニズムの夜明けー」によると、「フランスの1789年人権宣言(「人および市民の権利宣言」)は、すべての人間の普遍的な「人権」を確立した近代人権宣言として有名である。ところが、この人権宣言は、「人=男性」の権利宣言にすぎず、実際には女性と女性市民の権利は排除されていた。これを最初に批判して「女性および女性市民の権利宣言」(1791年7月に発表)を書いたのが、オランプ・ドゥ・グージュであり、近年のフランス革命史研究、女性史研究やフェミニズム研究の進展によって、彼女への関心が一層高まっている」、「彼女は、議会への要求やパンフレットによる発言を繰り返していたが、政治的には比較的穏健な立場にあり、ルイ16世を擁護したり、ジロンド派に近い立場からマラーやロベスピエールなどのジャコバン派を非難した。1793年夏には、『三つの投票箱』というビラをしたためて、単一・不可分の共和制、連邦制、もしくは君主制の3つの統治形態の中から、国民投票で選択することを提案した。これが、王政の復活を煽動した反革命容疑者を処罰するための1793年3月29日法に触れるとして、同年7月20日に逮捕された。ついで、11月2日の革命裁判所での裁判の結果、『人民主権を侵害する著作』のかどで死刑宣告されて、翌3日に処刑されてしまった」、その(女性の権利宣言)構成は「(a)王妃へ」と題するマリー=アントワネット宛の誓願文、「(b)女性の諸権利」と題する文書が続く(前書き、本文、後書き)。「(c)男女の社会契約の形式」と題する文書となっている。本文は前文と17条からなる。人権宣言にならった配列・構成であるが、4つのタイプに分類できる(①人権宣言の表現とほとんど変わらない条文、②主語を「人」「市民」から「女性および男性」ないし「女性市民と男性市民」に変更した条文、③女性の権利としての保障を強調したり加筆・変更している条文、④性別を超えた一般的問題について「人権宣言」の枠を超えたもの)。

 

序 非嫡出子として生まれたが、彼女は自らを自然児とみなし、それをバネとした。

第1章 幼年時代 私は、徳の高さと文学的才能のいずれにおいても著名な、ある人物の娘である。彼は人生でただ一つの過ちをおかした。それは、私を敵にまわしたことだ。『道徳的釈明』(1792年)

第2章 妖艶な年月 ニンフの物腰、高貴な態度、魂を感動させ感覚を魅了する声の響き、黒い瞳、百合と薔薇のような肌、真っ赤な唇、うっとりとさせる微笑み、自然な優美さ・・・。『寛大な男』(1786年)

第3章 国王の役者たち 私の作品が傑作だと信じることがばかばかしいと思わないように。『ニノン邸のモリエール』(1788年)

第4章 黒人奴隷制度 自然の摂理には何の関わりあいもなく、何もかも白人の利益優先がもたらした不正のせいだ・・・『黒人についての考察』(1788年)

 「自由」のおかげで力をつけた人間がこのように考えているだろうか? 何ということか! 植民地居住者の陰謀と芝居じみた横暴が、公共の利益や誰の目にも明らかな公正さより優位に立ち、自由の元年が、封建時代の野蛮さと無知のもとでさえ存在しなかったような不正によって、汚されてしまうのだろうか?『マダム・ドゥ・グージュのための覚え書き』(1790年)

第5章 愛国的作家 国家を救えるのは、ほとばしる熱意しかない。『緊急提言、別名=中傷者への返事』(1789年)

第6章 共和国の「巫女」 みずから決定することにまさる美しい大義はない。それは人民の大義である。『フランス人の精神』(1792年)

第7章 国王の首 残酷におびただしく流された容疑者の血が、永遠に革命を汚す。『無実の誇り』(1792年)

第8章 3つの投票箱 私は何もかも見通しました。私の死は避けられないと覚悟しています。『政治的遺言』(1793年)

第9章 ギロチンの刃 私は女です、私は死の恐怖に脅えています。私はあなた方の拷問をひどく恐れています、でも私には自白すべきことは何もありません。私が勇気を持てるのは、息子への愛情があるからこそです。自分の責務を果たすために死ぬことは、母親の愛情を、死後に長く残すことになるでしょう。『革命裁判所でのオランプ・ドゥ・グージュ』(1793年)

第10章 女性の権利 私たち女性が、徳においても勇気においても、男性にひけをとらないことを、男性たちに示そうではありませんか・・・。男性の無知、傲慢、不公平が、女性たちを長いあいだ隷属させてきましたが、今こそ、私たち女性が、恥ずべき無能さから脱する時が来たのです。 テロワーニュ・ドゥ・メリクール(1792年3月25日)

 私たち女性が、男性と同じように政治を司ることができることを、男性たちに証明してみせましょう。どのクラブでも私たちが優位に立ちましょう。私たちはしっかりとした目で、憲法に反することはすべて、とくに女性の権利を侵害することはすべて、告発していきましょう。そして、私の親愛なる夫で、私が忠節を尽くしているペール・ドゥシェンヌのような、太ったまぬけな男のからだよりも、一人の女の小指の中に、より多くの才気と活力が宿っていることを、男たちに教えてやりましょう。 メール・ドゥシェンヌ

第11章 遺児・ピエール・オブリィ 運命が、私の涙をぬぐうためにお前を生きながらえさせてくれるなら、…お前は、真の共和主義者として、母を迫害した者に対して、仕返しをしておくれ。『息子への手紙』(1793年)

 

 激しくも、鮮烈に、後世に名を残した、素晴らしい、信念の女性である。

 これまで余り関心が寄せられることがなかったようだが、埋もれていた偉人を掘り出した作者の労苦は大変なものだったと思う。パリ図書館で一連のグージュの作品のコピーをとって持ち帰り、1976年に翻訳と解説を「法律時報」(48巻1号)に発表したのが全文訳の最初らしい。

 巻末資料として、グージュの「女性および女性市民の権利宣言」と「人および市民の権利宣言」の条文対照表が掲載されており、とても見やすく理解し易いものとなっている。

風にのってきたメアリー・ポピンズ P.L.トラヴァース 林容吉訳

1954年4月25日第1刷発行 2000年7月18日新版第1刷発行 2020年12月4日新版第26刷発行

 

東風に乗って、こうもり傘につかまって空からやったきたメアリー・ポピンズ。桜通り17番地のバンクス家で子どもたちの世話をすることになった彼女はかなり風変わり。子どもたちにいつも絶えず優しくするわけでもない。「笑いガス」の章などは、ウィッグおじさんの家にジェインとマイケルの3人で訪れると、ウィッグおじさんだけでなくジェインとマイケルも笑い転げて笑いガスが体にたまってみんな机ごと宙に浮かんで食事をする、という奇想天外というかおよそあり得ない空想上の話が次々に展開していく。「わるい火曜日」では磁石を動かして東西南北を瞬時にかけまわってしまう。北極に始まり、ヤシの木がある黒人だらけの南の土地に移動したかと思うと、東の中国や西のインディアンの住む町にマイケルとジェインを連れて世界旅行をあっという間にしてしまう。

その中でも「ジョンとバーバラの物語」の章に出てくる、双子のジョンとバーバラの赤ん坊とメアリー・ポピンズとのやり取りが俊逸。ジョンとバーバラはムクドリが同じことばで話をしているのが分かるのに、ジェインやマイケルはそれが分からない、おかあさまやおとうさまにわかるとは思わないけど、ジェインやマイケルぐらいはわかりそうなもの、と言っていると、メアリー・ポピンズが「まえには、わかったんですよ」というと、二人は驚きの声を上げて「ほんとう?ふたりともわかっていたっていうの?ムクドリや、風や、それからー」。それに対してメアリー・ポピンズは「木のいうこちゃ、日の光のことばや、そして、星やーもちろん、わかったんですよ!まえにはね。」という。「どうしてみんな忘れちゃったの?」とジョンがいうと、「大きくなったからっです」とメアリー・ポピンズがわけをいう。ジョンもバーバラも「大きくなったって忘れやしないよ」というと、メアリー・ポピンズが「いえ、忘れます」と断言。小さい赤ん坊の頃には分かっていたことが大きくなるにつれて分からなくなってしまうことがあるという皮肉でもあり、人が成長するとともに命が汚れていくというようなことを暗示しているようでもあり、かなり印象的な場面が登場する。

「満月」の章では、深夜、動物園にジェインとマイケルがメアリー・ポピンズと一緒に出掛けると、動物が動物園を歩き回り、人が檻の中に入っている。その中でキング・コブラが「たべることも、たべられることも、しょせん、おなじことであるかもしれない。わたくしの分別では、そのように思われるのです。わたくしどもは、すべて、おなじものでつくられているのです。いいですか、わたしたちは、ジャングルで、あなたがたは、町で、できていてもですよ。おなじ物質が、わたくしどもをつくりあげているのですー頭のうえの木も、足のしたの石も、鳥も、けものも、星も、わたくしたちはみんな、かわりはないのです。すべておなじところにむかって、動いているのです。お子さんよ、わたくしのことを忘れてしまうことがあっても、このことだけはおぼえておかれるがよい」という。動物も人間も木や石もすべてつながっている、同じだというのは、哲学的な表現だと思う。単なる空想物語ではない。

そして最終章「西風ち」では、春の第一日が来て、西風が吹くと、メアリー・ポピンズはこうもり傘をさして再び空に舞い上がって突然いなくなってしまった。子どもたちはメアリー・ポピンズがいなくなって悲しがり「世界じゅうで、メアリー・ポピンズだけいれば、いいんだ!」と泣いてうつぶしてしまうが、大人たちは何も言わずに突然いなくなったメアリー・ポピンズに子供たちをほったらかしにしていってしまったことをなじる。お終いに、磁石はマイケルにあげ、メアリー・ポピンズが書いた絵はジェインにあげると手紙を残す。

 

 ジョンとバーバラの物語、満月に、作者の言いたいことが出て来ているのだと思う。空想物語の範疇には収まらない、大人が読んでも何かしら深みを感じさせるところがすごい。

 

一市民の反抗 ―良心の声に従う自由と権利 Resistnce to Civil Goverment ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 山口晃・訳 

2005年6月20日第1刷発行

 

(表紙裏)1817~1862。アメリカ・マサチューセッツ州・ボストン近郊のコンコードに生まれる。詩人、作家、思想家、ナチュラリストなど多彩な顔を持つ。学生時代から、古典ギリシャ・ローマ、中世ヨーロッパの文学を深く愛し、また、東洋思想にも興味を持つ。自らの実践と観察、思索から生みだされた『森の生活』「一市民の反抗」「原則のない生活」「散歩」など数多くの著作のほか、アメリカ先住民や考古学・民俗学博物学への関心を深め、最晩年まで続く膨大な日記に書き記す。その著作は、トルストイマンデラ、J・F・ケネディ、フランクロイド・ライト、レイチェル・カーソン、アーネスト・シートン、ジョン・ミューアゲーリー・スナイダーなど、分野を超えた様々なリーダーに強い影響を与え手きた。本書のエッセイ「一市民の反抗」は、ガンディー、キング牧師の市民的不服従へと受け継がれ、政治思想としても貴重な遺産となりつつある。一日一日を何よりも大切に生きた彼の生涯とその著作は、自らの生活を意義あるものとして生きようとする現代の人々に、静かに力強く応えてくれる。

 

「一市民の反抗 ―良心の声に従う自由と権利」

 「私たちはまず人間として生きなければなりません。統治されるのはその後です」

 「私の唯一の正当な義務は、私が正しいと考えることをいつでもすることです」

 「奴隷制や戦争に反対の意見をもつ人は数多くいます。ですが、彼らは奴隷制や戦争を終わらせるために実際は何もしません。」

 「この国の千マイル四方に人間らしい人間は何人いますか。ひとりいるかいないかでしょう」

 「少なくとも不正に与しないこと、そしてもはや不正をするつもりがないのであれば、不正を支持しないことが人間としての義務です」

 「人を不当に刑務所に入れる政府のもとでは、正しい人間にふさわしい居場所もまた刑務所です」

 「良心が傷つけられるとき、ある種の地が流れるのではないでしょうか。この傷口から真の人間性と永遠性とが湧き出て、永遠の死に至るまで血は流れつづけます。私はこの血がいま流れているのが見えます」

 「法律家の真実は真理ではなく、整合性というか、つじつま合わせのご都合主義です」

 「国家が個人を国家よりも高い自律した力として認め、国家自体の力と権威はその個人の力から生まれると考え、そして個人をそれにふさわしいかたちで扱うようになるまでは、ほうとうに自由で開かれた国家は決して実現しないでしょう。すべての人にとって公正であり、個人を隣人として尊重して扱う、そうした余裕をもった国家が最後にはできることを、私はひとり想像しています」「国家がそのような果実を結び、熟して自然と落下するような経過をたどれば、さらに完全で栄光ある国家への道が開かれるであろうとまた想像することもありますが、そのような国家はまだどこにも見あたりません」

 

 

「ソローへの旅のはじまり」 山口晃

 Ⅲ

「『一市民の反抗』がもっている思想的な意味と、それが後の人々に与えた影響について考えてみましょう。この点でもハーディング『集注版』はとても分かりやすいので、もう少し援用させてもらいます。ハーディングはこのエッセイの要点を次の4つにまとめています。

1、国の法律よりも『高い法』がある。それは、良心、『内なる声』の法である。

2、稀なことではあるが、この「より高い法」と国の法律が対立するようになったとき、「より高い法」に従い、熟慮の末、国の法律を破ることは人の義務である。

3、国の法律を熟慮の末、破るのであれば、その行為の結果をすべて、最後は牢に入ることまで含めて、進んで引き受けねばならない。

4、しかし、牢に入るのは必ずしも消極的なことではない。というのも、それは善意の人々の注意を悪法に向けることになり、悪法の撤回をもたらす助けになるからである。あるいはもしもかなりの数の人々が牢に入れば、その行為は国家の組織の機能を妨げ、悪法の施行を不可能にするであろう」

 

 巻末に原文がついている。英語の勉強にはちょうどいいかもしれない。確かに、アメリルネサンスの旗手の一人ともいわれるソローの思想には、大いに学ぶべきところがある。