王陽明 知識偏重を拒絶した人生と学問 安岡正篤

2006年1月25日第1版第1刷

 

裏表紙「著者には、東京帝国大学の卒業記念として出版された『王陽明研究』と、「王陽明伝―王陽明の生涯と教学」(王陽明生誕五百年記念『陽明学大系 第一巻』所載、昭和46年)の名著がある。本書は、この名著を下敷きに、「分りやすく」と「平明に」を念頭に、王陽明陽明学について説いた講話集である。難解と言われる陽明学の入門書にして、本シリーズの掉尾を飾るに相応しい、師の「陽明学第三の名著」である。」

 

目次

文庫版のまえがき

第1章 生誕の秘話と青年時代

陽明研究で結ばれた縁尋の機妙

陽明学」の流行と誤解

王陽明生誕の秘話

第2章 「五溺」と発病求道

就官と発病「独の生活」

「従吾の学」への徹悟

波乱万丈の生涯の始まり

第3章 「竜場徹悟」と教学の日々

険所・竜場に流されて

竜場流謫の意義

道友・湛甘泉との訂交

第4章 最後の軍旅と長逝

寧王の叛乱と平定

「事上磨錬」と小人の奸計

「到良知」への確信

 

・縁尋の機妙

 自分が真剣にやっておれば、必ず求めるものは見つかる。

朱子学陽明学も師との出会いは同じようなものであり、軽々しく朱王の学の相違を論ずるなどは慎むべきである。婁一斎先生と王青年との出会いを想うとき、自然に李延平と朱青年とのことを連想・想起せんというのでは勉強が足りない。

・『伝習録』の「一掴一掌血(いっかくいちしょうけつ)、一棒一条痕(いちぼういちじょうこん)なれ」。一度掴んだらそのものに血の手形が着くぐらいに掴め、一本ピシリッと打ち込んだら、一生傷痕が残るほど打ち込め、というのが王陽明の覚悟だった。

・陽明先生は、宸濠の叛乱や張忠・許泰らの深刻きわまる迫害の事上磨錬を経て「到良知」の説を提唱する確信、不動の境地に達した(50歳)。「良知の二字は・・滴骨血てっこっけつなり」(弟子に答えた言葉)。

陽明学即反逆的危険思想とする俗伝が未だに行なわれているが、笑止である。大塩平八郎は、天保の大飢饉に民が餓死した非常の危機に身を挺して救済に肝胆砕いた彼を憎悪して愚劣きわまる妨害の限りを尽くした奉行・跡部山城守良弼に堪忍袋の緒を切って民衆に訴えて奉行誅戮に蹶起したのであり、元来は野心のない廉直の士であった。これをもって危険行動原理と考えるのは問題とするに足りない。