草原の風《上》 宮城谷昌光

2013年9月25日初版発行

 

帯封「中国史上燦然と輝く名君、光武帝・劉秀の後漢建国の物語 あこがれ続ければ、この強い想いは現実の象になるか。鮮明な未来図を描けず、強烈に自我を押し通す志向ももたない若き劉秀。風に吹かれる草木のように運命を受け入れ、常安(長安)留学に旅立つが…。」

裏表紙「父の死により、叔父に引き取られ、使用人とともに田で働く劉秀。高祖・劉邦の子孫でありながら、鮮明な未来を描くことができぬ日々を過ごしていたが…。三国時代よりさかのぼること二百年。古代中国の精華・後漢王朝を打ち立てた光武帝・劉秀の若き日々を、中国歴史小説の巨匠が鮮やかに描きだす。」

 

劉秀。あざなは文叔。漢を起こした高祖劉邦の末裔。上巻は世に出る前の劉秀青年を描く。劉秀の幼年に父が亡くなり、叔父の下で養育され、農民と共に田畑を耕作して暮していた。人柄は良く、骨惜しみせず、朝は誰よりも早く、晩は遅くまで働く。近隣の住人に慕われた青年だった。時は王莽が皇帝。劉秀は叔父の援助で常安(長安)に留学し、師を許子威として『尚書』を学び、親友の韓子、奇人の彊華、弟のような鄧禹らと出会う。人と話をせず一人で書物を読む彊華と話しただけで、劉秀は皆から一目置かれた。宗家の主である劉シから舂陵に瀟洒な家を貰って住む。叔父の家や実家に戻らぬと決めた結果だった。学費に困った劉秀が韓子に相談すると、運送業への出資を勧められ、新野の富家の陰氏から預かった学費を投資した。舂陵の家と共に貰った田畑の手入れを伋が代わってしてくれた。朱祐とは家の裏で蜜と薬の販売を手掛けた。韓子が留学を終えて各地の遊歴に出たが賊に襲われ客死した。徐州で呂母の乱が起きた。陰氏の14歳になる娘の麗華が劉秀の妻になると決めていると聞いた劉秀は喜悦の声を上げたくなった。兄の食客が盗みを働いた罪の連座を免れるために劉秀は逃亡を余儀なくされた。陰麗華が劉秀を探していた。王莽の政治に対し各地で叛乱が起きていた。李通が劉秀に命運を賭して挙兵を促した。鄧晨に打ち明けて劉秀は兄と李通と共に兵を挙げた。劉秀28歳のことである。