昭和58年11月2日1版1刷
①信州の山ふところに出生-軍人志望は断念
②岩波書店へ―徴兵忌避-震災から復興
③著者に信頼された岩波から「誠実」を学ぶ
④ストライキ発生-退店し、出版社を興す
⑤露伴に学ぶ―腎臓ジストマにかかる
⑥岩波新書発刊-戦争拡大で検閲強化
⑦戦時下の中国へ―気のめいる日本の支配
⑧敗戦を悟り帰国-留置所の中で終戦
⑨信州で静養-新時代の到来信じて岩波死す
⑩岩波の命日を創立記念日に-用紙不足
⑪岩波映画-自分を視るために描き、書く
・生まれは信州駒ケ根市。岩波書店には兄と二人で飛び込みで面接を受け、住み込みの店員になった。朝7時に店をあけ、夜10時に店を閉めた。武者小路実篤、ドストエフスキー、トルストイの本をよく読んだ。夜学に行くことを許され、神田の正則英語学校へ通った。当時は倉田百三の「出家とその弟子」が良く売れた。漱石全集の出版は、用紙、印刷、製本等、最も良いものを選び、日本の出版史上画期的なものとなった。一度岩波書店を退店したが、岩波茂雄の二女と結婚した後、岩波書店に戻った。古典普及の次に岩波新書を始めた。終戦直前に特高に連行されて取調べを受け留置され、8月になると拷問された。終戦後8月29日にようやく釈放された。戦後株式会社岩波映画製作所を発足させた。昭和37年に会長に就任した。(昭和56年11月20日死去)