昭和55年6月5日1版1刷 昭和59年2月23日1版15刷
①二つのめぐみで成長
②心だに誠の道に叶いなば
③病弱の追想
④非難をよそに丁稚奉公
⑤石油業に着手
⑥国際会社問題で軍と対立
⑦南方の配給任さる
⑧終戦前後のこと
⑨イランに活路を求む
⑩俯仰天地に恥じぬ行動
・福岡県宗像郡赤間で生まれた。体が弱く読書が出来なかったが、よく考える習慣が身についた。大きな宿屋で家族は仲が良かった。神戸の商業学校の校長水島鉄也から人間としての生き方を学んだ。神戸高商を出て酒井商会に使ってもらい2年目に実家が破産した。日田重太郎という近所の人が京都の別荘を売ったお金を、出光が独立するのを条件に差し出してくれ、石油の店を始めた。もう一人の恩人内池兼吉博士から生産者と消費者の間に介在して双方の利益を図る配給者のみが商人として残ると言われた。戦後千人ほど海外から帰って来た時に一人も社員の首は切らなかった。出光は周りからにらまれて叩き潰されそうになり、苦しんでいるところにイランが現れた。イランは買い手を探していた。妨害はあったがイランから石油を運んだ。裁判沙汰にもなったが、俯仰天地に恥じない行動をもって終始することを裁判長の前で誓い、これからは日本の為にカルテルに尽くしてもらえるようにすることが私の仕事だと思っている。