昭和62年3月13日1版1刷
①帰国子女三代
②大連生まれ
③両親
④ニューヨークへ
⑤小学校
⑥帰国休暇
⑦帰国前後
⑧成城学園に転入
⑨東大時代
⑩大蔵入省
⑪召集
⑫戦中
⑬新円切り替え
⑭結婚
⑮主計官
⑯予算攻防
⑰海外出張
⑱国際交渉
⑲為替自由化
⑳ワシントン
㉑国際金融専門家
㉒国際舞台へ
㉓国際金融局長
㉔通貨マフィア
㉕マルク危機
㉖アジアへの視点
㉘円切り上げ
㉙東京銀行へ
㉚国際人
・大正6年10月17日大連生まれ。帰国子女として苦労したが、知らず知らずのうちに国際的な視野でみる目が身についたように思う。父秀茂は横浜正金銀行の頭取をつとめ、親子二代にわたって頭取を務めた。暁星中学、成城高校、東大法学部に進み、大蔵省に入省した。為替局総務課に配属され、入営したものの、終戦後再び大蔵省に復帰した。大臣官房企画課で駐留軍との交渉窓口が仕事となった。29年以降、為替局調査課長、企画課長をつとめ、ワシントン在外事務所の所員として赴任した。外交官として相応しい知識を吸収するようにとアドバイスを受け、ニューズウィークなら10分で読むことなど、時間を有効に使うよう助言された。帰国後大臣官房財務調査官につき、保険行政を職掌した。40年財務参事官、41年国債金融局長、43年大臣直属の財務官に任命され、47年大蔵省を辞した。48年に東京銀行に副頭取として入行し、52年に頭取に選任された。