2020年3月18日1版1刷
帯封「われ、勁草のバンカーたりえたか ニクソン・ショック、安宅産業、バブル崩壊、金融再編、リーマン危機‥逆風下の難題に挑み続けたバンカーが語る平成金融30年史」「これからは、ラクビーのスクラムが進化したように、個人、あるいは、個社が独立した強さを磨き上げながら、その力を組み合わせることで、一段と強い複合金融グループに進化することができる。日本の金融業界、銀行業界に携わる皆さんには、『金融はおもろい』の精神で、未来を切り拓いていって欲しい。『あとがきにかえて』より」
・1944年12月2日長野県上田市生まれ。小5から京都へ。洛星中高、京大法学部へと進み、住友銀行入行後、高麗橋支店配属後に本店調査部に異動。実地調査と業界調査が主な仕事。ミシガン大学ロースクールで2年留学し、帰国後は国際管理部。以降国際畑を歩む。42歳で一宮支店長に。半年で頭取秘書役に異動となり、2年でニューヨークへ転勤。シカゴ支店長の後、企画部長に。東京地検による接待汚職捜査を経験した後、99年第一勧銀と富士銀行に日本興業銀行が加わる統合で、単独突破は見直しを迫られ、さくら銀行と合併。銀行税導入の際に訴訟を辞さず。05年6月に三井住友銀行頭取に。対三菱UFJを常に意識し、東電問題にも対処。09年京大出身の経済界の会長・社長による総長応援団「鼎会」が立ち上がる。