浄瑠璃坂の仇打ち《下》 高橋義夫

2005年11月20日発行

 

伝蔵が江戸に潜伏しているのではないかとの問合せを受け、兵藤玄蕃は公儀の追及を逃れるため、伝蔵を一人公儀に出頭させた。伝蔵に毒を盛られたのは警告の意味だった。生駒尚平が夏目三郎助に襲われ辛うじて死地を切り抜けた。尚平は頼母の指示で植木職人として隼人の屋敷を探った。戸田七之助は稽古で蓮子と対峙し、蓮子は意識を失い犯された。利兵衛は蓮子に、奥平大学が屋敷で行う武芸試合に出るよう、師の伊与田孫兵衛の伝言を聞くが、蓮子は固辞した。試合の当日、職人の手伝いとして屋敷に入った尚平は、蓮子から浄瑠璃坂屋敷の間取り図を書いた布を人を介し受け取った。尚平は頼母に間取り図を渡した。隼人の屋敷から利兵衛始め数人が源八を討つために旅に出た。尚平は一日遅れて深沢村に戻った。尚平は領外で利兵衛と対峙し、利兵衛にとどめを刺さずに逃がした。蓮子は戸田七之助の屋敷から伊与田道場に七之助の子を懐妊して帰った。寛文12年2月3日、源八と42人は隼人のいる浄瑠璃坂の屋敷に討ち入り、隼人の父半斎を討つが、隼人が見つからなかった。その日隼人はたまたま浄瑠璃坂を不在にしていた。屋敷を出る源八らと屋敷に戻る隼人がぶつかり、尚平は師の孫兵衛と対峙した。源八は隼人を討ち取り、尚平と師との戦いも終わった。尚平は隼人の首を興禅寺に届けて復讐を果たした。源八、伝蔵、夏目外記の3名は首謀者として自首し、一等を減じて伊豆大島への流罪となるが、義士として不自由なく暮らせる品が与えられた。尚平は仕官の話を断り続けた。尚平は剣を捨てた。尚平との勝負で右手首を失った利兵衛は左手の剣の工夫し奥山流の後継者となった。蓮子は利兵衛と祝言をあげていた。尚平は祝福し、深沢村に向かった。