2015年4月25日初版発行 2020年6月10日19刷発行
七日目の和田峠は横殴りの雪で中山道随一の難所。宿の差配役から発駕をやめるよう注意されたが、一路は吹雪の峠越えを決断した。皆が凍死の寸前、殿は白馬に乗り、誰よりも先んじて峠に辿り着く。が白馬は体力を使い果たし絶命する。夜半、辻井良軒が眠り薬を処方し、殿は一路と同時に薬を服用する。良軒は喜惣次から砒素を混ぜるよう指示されていたが、殿は決してうつけではないと気づき、指示に従わなかった。将監らが企む陰謀に手を貸しているのが外に誰がいるのか分からず、一路の疑心暗鬼は深まるばかりだった。
八日目は佐久平を通って岩村田宿に着く。岩村田は内藤家の陣下で、蒔坂家の江戸屋敷は隣り合わせで昵懇だった。内藤家を継いだ志摩守は役付きで大名なので、旗本で無役の殿をないがしろにした。祝儀を包めと言われた殿は東照神君から拝領した一文字吉房を差し出すと、志摩守が窮する。志摩守と殿が刃傷沙汰を起こすのではと思っていた将監は期待がハズれる。
九日目は軽井沢に向かった。供頭は加賀百二万五千石の前田慶寧の妹乙姫から御髪物を貰った。蒔坂家は疲れ切っていた。発熱した殿は松井田宿で南蛮渡来の秘薬では奏功しなかった。十日目は一日遅れとなり、その旨届け出ると共に、殿と昵懇だった上野国安中城主板倉主計頭勝殷が見舞いに訪れた。殿は地元の深谷の葱を処方されると本腹した。姫が松井田まで追い縋ってきた。十一日目に松井田宿を立ち、深谷宿を目指したが、信州小諸城主一万五千石の牧野康哉が桜田門外の変で罷免され深谷宿が本陣だったため、本陣差し合いが起きた。殿は葱を背負い牧野康哉を見舞い、病の牧野に本陣を譲って自らは脇本陣に入った。
十二日目の前日、着到遅れの届書が月番老中宅に届き、蒔坂家は桶川宿に向かった。将監は桶川には泊まらなかった。将監は大宮氷川神社に向かっていた。十三日目に桶川宿を立ち殿は僅かな供廻りで氷川神社の参拝に向かったが、刺客が待っていたが、何とか切り抜けた。御家転覆を企み主君を弑逆せんと謀った将監の死体が運ばれた。御座船に殿と斑馬を乗せ、そこに将監と喜惣次が乗ったが、船頭のふりをしていた浅次郎が将監の首を刎ねたのだった。伊東は自害した。遂に本所吉田町江戸屋敷に到着した。殿は家茂に呼び出され一万石の加増・大名に列すると下知された。が、自分は七千五百石の民に一所懸命でありたいと述べて断った。
巻末の解説(檀ふみ)によると、御供頭心得を始め、全て創作だそうだ。小説家ってすごい想像力を持つものだと改めて感心。檀さんは希代のストーリーテーラーと言うが、本当にその通りである。