昭和58年11月2日1版1刷
①神戸の美しい風物に育まれた幼年時代
②暁星中学-チェロに熱中し芸大を志す
③浦高の寮生活-記念祭の芝居で主役を
④長瀞で震災に遭遇-帰途は線路を歩く
⑤大学研究室で小林秀雄との奇妙な出会い
⑥演劇が縁で舞踏家藤間春枝と恋愛事件
⑦放心の日々-母の勧めで美術研究所へ
⑧軍部の台頭に追われてフランスに渡る
⑨バリの生活-気楽な裏街人生を満喫
⑩比島へ従軍へ五ヶ月のジャングル生活
⑪敗戦-転機求めて文部省の文化課長に
⑫世界漫遊の旅へ―九ヶ国こまめに見学
⑬文化庁入り-肌に合う腰弁の役所通い
・生地は北海道函館。父が郵船会社の船長をしていたので、小樽、函館、横浜、神戸と移り、神戸には5歳から16歳までいた。神戸一中に入学したが、病弱なため欠席勝ちだった。九段の暁星中学校、浦和高等学校文科丙類、東大に入学し、文学をやるならフランス文学科に入った小林秀雄や中島健蔵と友達になれと勧められた。井伏鱒二と一番仲良くした。大学を出た昭和3年は不況のどん底で卒業生中で中島だけが助手になり、他はことごとく失業者になった。満州事件が勃発し日本は急旋回を遂げ、5・15、2・26事件後、フランスに行った。帰国すると、徴用令書を受け取り、広島、台湾へ移動し、比島攻略部隊に属した。九死に一生を得て帰国した。戦後、文部省の文化課長として事務を執り、芸術祭を開催しようと思い立ったが、大いに反対され、辞表を認めた。比島での敗戦記「山中放浪」がベストセラーとなり印税が多く入った。一晩で書いた短編が直木賞授賞となった。再び文化庁に戻り、伝統文化を匡す仕事も大切だと考えて自分の心がけを匡している。