兵諫 浅田次郎

2021年7月12日第1刷発行

 

帯封「謀略の生け贄か、救国の英雄か。二・二六事件の死刑囚が語る蹶起の真相。西安事件の被告人が訴える叛乱の首謀者。日本と中国の運命を変えた2つの兵乱にはいかなるつながりがあったのか。『蒼穹の昴』シリーズ最新刊は、興奮の軍事法廷ミステリー。」「『兵諫』とは、兵を挙げてでも主の過ちを諫めること-。日本で二・二六事件が起きた1936年。中国の古都、西安近郊で、国民政府最高指導者、蔣介石に張学良の軍が叛旗を翻すクーデターが発生。蔣介石の命は絶望視され、日米の記者たちは特ダネを求め、真相に迫ろうとする。日本では陸軍参謀本部という秘密の匣の中で石原莞爾が情報を操っており、中国では西安事件軍事法廷で、張学良は首謀者ではないとする証言がなされた。現代中国の起点となった事件の現場に起つ救世主は誰か。」

 

陸軍歩兵大尉の志津邦陽は、二・二六事件の首謀者の一人として死刑が確定していた元陸軍歩兵大尉の村中孝次に面談し、その時の様子を陸軍大佐の吉永将に報告した。蹶起将校たちは北一輝西田税に踊らされたという図にすれば、軍は被害者ということになる、軍の面子を保つためには北と西田を首魁として殺す必要がある、そのため死刑が確定している村中孝次を刑の執行から分離して証人として担ぎ出すというやり方自体はやむを得ないにしても、銃殺刑の銃声を聞かせることまでやる必要があるのか、これは人間として恥ずべきではないかと唇をかみしめながら話をした。永田鉄山は昨年8月、革新将校の急先鋒である相沢三郎中佐に惨殺された。相沢は永田閣下を斬っただけでなく、二・二六を惹き起こしてしまった。事件を誘導して、危険人物を一網打尽にするつもりだったのだろうと志津は想像を働かす(そういうこともあるのかもなあと読者を誘引しつつ)。志津は吉永との語り合う場面を回想しながら、重臣たちの殺戮は政党政治家を沈黙させ、ファシズムを招来し、日本は名実ともに軍事国家となることを予測していた。

西安近郊では、国民政府の蒋介石に東北軍を率いる張学良の軍が叛旗を翻すクーデターが発生。蒋介石が殺されたのか否か判然としなかった。上海特務機関員となっていた志津は、日本や日米の記者に、蒋介石は「安内攘外策(共産軍を崩して国内統一の後に抗日政策をとる)」を掲げ、張学良は「内戦停止・一致抗日」を掲げていたが、学良が命を捨てて蒋介石の身柄を拘束して方針変更を迫ったのだから、クーデターでなく兵諫だと解説した。軍事法廷で、張作霖、張学良の護衛官を務める陸軍大佐の陳一豆は、首謀者は自分であり、自分が独断でやったことで張学良ではないと証言した。二・二六事件の影響を疑う記者も現れた。誰しも陳一豆は学良を庇って陳一豆が嘘をついていると思ったが、判決は陳一豆を死刑に処すというものだった。張学良の軍事裁判で学良は、全中国は彼のもとに秩序を回復し、国際的地位を守り、指導者の尊厳を決して冒さずに団結すべきである、そのためにはまず唯一最大の叛逆者である私を厳正に処罰しなければならないと述べ、懲役十年の判決が言い渡された。その直後、国民政府中央政治会議は学良の特赦を決定し赦免した。ニューヨーク・タイムズの記者ターナーは志津と日本の記者との意見交換を通して結論を導き出した。中国は日本を捨てソヴィエトを選び、日本は中国を取り戻すため手を尽くす必要がある、二・二六事件の結果として陸軍が事実上の支配者となった今、日本と中国との全面戦争は確約された、東京と西安で起きた1936年の二つのクーデターは偶然とは思えない、中国市場からの撤退と資本の回収、関係者の引き上げを急ぐように、と。