2015年7月19日第1刷発行 2016年4月19日第11刷発行
・2012年6月20日国連のリオ会議で各国首脳によるスピーチの最後の登壇者ムヒカは「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と、現代の超消費社会に対し厳しい警告を発したことで注目を浴びた。
・大統領の時期は2010年3月1日から2015年3月1日まで。大統領の給料の90%を慈善事業と所属政党に寄付し、残り6万ウルグアイペソは貯金に充てる。生活費は月に1000ドル程度。個人資産は2010年には愛車分の22万円。2021年には妻の資産(土地と家とトラクターの半分)が加わり2600万円に達したが副大統領の3分の2、前大統領の3分の1。大統領官邸に住むことを拒み、妻所有の小さな農場で暮らした(大統領の前も任期を終えた後も同じ)。住まいは3つの部屋だけ。2012年11月15日BBCのニュースマガジンに「世界でもっとも貧しい大統領」との見出しが躍った。彼は「私は貧乏ではない。質素なだけです」と語った。
・1935年5月20日生まれ。7才の時に父が病死し、彼はアルバイトして家計を助けた。4度逮捕され、13年間の獄中生活を強いられた。7年間は本に触れることすらできなかった。肉体的にも精神的にも極限状態にあったムヒカは「敗北者とは、闘いを辞めた人のこと。人間は強い生き物であり、多くのことを乗り越えられます。悪いことは良いことを運んでくれるのです」と語る。「私の人生は恵まれています。社会主義者として闘い、考えたこともなかった、大統領というアルバイトをさせていただいている。我々の世代は世界を変えようとした。格差をなくすために闘い、潰され、砕かれた。でも、私は、まだ夢を見ています。」
・1万5000世帯の貧困家庭に住宅を与えるため4000軒の建設を目指した。大統領としての給料も大半を寄付し総額5000万円に達している。マジョリティー(お金持ちでない人)のために政治は行わなければならないというのが彼の信念だ。
・ウルグアイは2013年に大麻合法国になるが、処罰する方針では麻薬組織を取り締まれず利用者が増えるだけだったため、合法化することで麻薬組織から市場を奪おうとしている。妊娠中絶の合法化や同性婚の合法化も画期的政策として挙げられる。
・2013年の国連総会でもムヒカ節は炸裂した。
・2000年代前半に40%だったウルグアイの貧困率は2013年には10%余まで下がった。
・時に舌禍事件を起こすムヒカだが、多くの人を感動さえsることがあるのも事実。最後の支持率は65%程度で高い支持率を保ったまま退任する。