私の履歴書 遠山元一(日興証券会長) 日本経済新聞社

昭和55年6月5日1版1刷 昭和59年2月23日1版15刷

 

・埼玉県比企郡豪農出身。明治37年に高等小学校を卒業。水野錬太郎さんは後に内務大臣、文部大臣を務めたが、当時は内務省の神社局長をしていた。そこに書生代わりに引き取られた。兜町の小僧生活を4年程送った後、盲腸で2度入院すると辞表を提出し、市村金次郎商店へ手代として入った。伊藤銀三氏の信用を背景にして川島屋商店は個人企業として出発したが創業1年半には株式会社川島屋商店に改組し、山一証券の杉野喜精さんから誘われて東京現物団に加入した。アメリカと日本の時差を利用して外貨債を買い、それを日銀に売ることで儲けを出した。5万ポンドで5千円ずつ儲かった。株式市場は経済界の発展とともに発展し産業資金調達の死刑はますます重い。改善もし進歩もしてきた。これからも我々の地位向上のため余生を捧げるつもりである。 (昭和39年日興証券相談役に就任、昭和47年8月9日死去)