昭和55年6月5日1版1刷 昭和59年2月23日1版15刷
①犬から始まる人生
②イタズラ小僧
③成績は満点と零点の交錯
④悪玉から塾頭へ
⑤校長排撃のリーダー
⑥番頭時代
⑦井上準之助の慈愛
⑧留学生兼商人
⑨留学中に婚約決まる
⑩“神武以来”-大正8年
⑪ガラ! 大ガラ!
⑫追放!百姓の味
⑬江南学園の創設
⑭国字改革運動50年
⑮青い目の令嬢の追憶
⑯“健康のこども”
⑰百四才の天寿-母の追憶
⑱犬を相手の閑日月
・明治19年6月12日滋賀県生まれ。東京高等商業卒業後、関東織物問屋(今の丸紅飯田株式会社)に入店。22才で渡米し、井上準之助先生に出会う。ロンドン大学で2年余り学んで帰国した後、再び渡米し凄まじいアメリカの景気を目の当たりにし、1年後帰国。合名組織を株式組織にかえて、㈱伊藤忠商店(現丸紅飯田)、伊藤忠商事(前名伊藤忠糸店)とした。工業方面へ転出。戦後追放となったが財閥の処理にはあわなかった。追放が解けるまで百姓をやった。後に文相になられた平生釟三郎先生は教育に力を入れられた。甲南病院を創設され、今日の東京海上保険を各務鎌吉氏と二人で仕立てあげ、60歳で事業と手を断ち、教育衛生事業に打ち込まれた。母は長寿で104歳まで生きた。公益事業委員を務めた。それ以外にも通商促進使節、貿易使節を務めた。(昭和48年5月29日死去)