昭和55年9月2日1版1刷 昭和58年11月18日1版7刷
①父金彌とエドウィン・ダン
②牛に魅せられた男の子
③宇都宮さんの影響
④農学校を出て渡米
⑤ラスト兄弟牧場は第二の故郷
⑥母の死にみぞに身を伏して号泣
⑦渡米十年、米国を去る
⑧北海道で牧場作り
⑨土地との戦い
⑩酪農技術を米国から導入
⑪参議院議員一度だけの演説
⑫真心をもって牛に接す
・明治15年12月20日札幌生まれ。後に酪農業界の父といわれるオハイオ州のエドウィン・ダンが26歳の明治6年来日し畜産事業を手掛け、父はその弟子だった。札幌農学校に第二期生として入学し、私も同じく札幌農学校に進み、その後渡米した。母が渡米中に亡くなり、牛づくりを完全に習得するまで米国を去らない決意を固め、渡米生活が10年に及んだ。ウィスコンシン州立大学の農科大学に入学し2年コースを選んだ。大正5年に帰国し、樽川から江別に移り住んだ。江別の土地は荒れた土地だったが、排水、土地改良に力を注ぎ、江別の牧場経営が軌道に乗るのに10年は要した。20年秋、貴族院議員に選ばれた。私は一介の牛飼いだが、今も江別の牧場で牛飼いに明け暮れている。(昭和44年8月14日死去)