昭和55年7月2日1版1刷 昭和57年5月17日1版8刷
①父のしつけは自由主義
②日比野マラソン王に鍛られる
③線路上に起立して電車を止める
④女店員を初めて使う
⑤慶応普通部編入
⑥三年続けての大患
⑦パリの酒場で「君が代」きく
⑧十六代目襲名
⑨名古屋、静岡、銀座の三店焼失
⑩名古屋商工会議所会頭時代
⑪三度渡米―百貨店の規模に驚く
⑫名古屋食べもの名物
⑬中京美人論
⑭印象に残る人々
・明治35年7月5日名古屋生まれ。店の名は「いとう呉服店」だった。16代次郎左衛門。諱は祐茲(すけしげ)。幼名は松之助。始祖は信長に仕えた小姓だった。今日まで300年続いている。6つの頃から狂言をやらされた。明倫小、愛知一中(現在の旭丘高校)に進む。父が明治43年に松坂屋百貨店を始める。慶応普通部4年に編入し、謡曲を習い始め、これは現在まで続けている。昭和8年父が引退し、松坂屋社長となる。伊藤銀行は東海銀行になり、日本貯蓄銀行は合併させられて協和銀行になった。物価違反事件の責任を取って社長を辞め、相談役になる。暇が出来たので戦争中は読書を読んで過ごした。戦後社長に復帰し、増資を繰り返した。米国に3度行き、取り扱い商品は日本と違わないが、規模の点で大変な相違があった。名古屋は貯蓄の額で首位にあるが、貿易商や船会社のようにリスクを伴う事業は発達しない。現在、中部電力、近鉄の監査役、全日空の重役をしている。偉い人で印象に残っているのが松方幸次郎氏。御木本幸吉老も面白い人だった。(昭和42年より松坂屋会長)