昭和55年6月5日1版1刷 昭和58年10月30日1版11刷
①“重”の縁起
②スパルタ式の小学校
③小倉服の着方しらぬ中学生
④「時習寮」でしつけらる
⑤父に内証で四校の法科へ
⑥新聞小説が発端で校長排斥スト
⑦ビリに収まる卒業名簿
⑧ヒゲが自慢のバンカラ青春
⑨東大は出たが就職に苦労
⑩勤め人第一歩―太陽生命入社
⑪逃げ回った挙句の縁談
⑫“使える男”鋼管に入る
⑬辞表をふところの毎日
⑭「人生はロングラン」
⑮神兵隊事件と川崎疑獄
⑯終戦で社長へ
⑰日本人の誇りを忘れるな
⑱自分のペースでいつも努力
・明治27年7月25日龍ヶ崎生まれ。土浦中学3年の時に独立して龍ヶ崎中学となり、時習寮に入った。医者にしたかった父に黙って四校法科に入るが、ビリで出て東大には入ることができた。太陽生命に入った後、仲人が日本鋼管の白石元治郎さんと懇意な間柄にあり、結婚後白石さんに引き合わせてもらい、日本鋼管に入ることになった。庶務課長になり減資をしてから増資をする時に猛勉強して処理した。川崎疑獄で無実なのに独房生活を110日過ごした。帰ると総務部長の椅子が用意され取締役も兼務した。和魂漢才は私の主義である。
自分に対して誠実が一番よい。ある機会に努力がみのって人に認められるとか才能が伸びるとかいうことがあればよい。またどんな仕事を与えられても視野を広くして勉強さえしていればいかなる仕事も元となる芯は同じだと思う。(昭和38年日本鋼管会長。41年同取締役相談役。49年2月17日死去)