ガマに刻まれた沖縄戦 上羽修

1999年2月23日初版

 

目次

1 美ら海、美ら島で

2 米軍上陸と住民の「集団自決」

3 学徒看護隊と「自決」を強いられた傷病兵

4 いろいろな兵士

5 戦場となった村、逃げまどう住民

6 八重山列島の戦争マラリア

私の沖縄再発見―あとがきにかえて

 

・95年10月の沖縄県民総決起大会で、高校生代表の仲村清子さんは「私たち生徒、子供、女性に犠牲を強いることは、もうやめてください」「軍隊のいない、悲劇のない平和な沖縄を返してください」と訴えた。

アメリカ軍は約54万8000人もの兵力を投入し、太平洋戦争における最大規模の上陸作戦を行った。

渡嘉敷島では329人が集団自決するという沖縄最大の惨劇があった。家永教科書裁判で作家曾野綾子氏は集団自決に軍の関与はなく住民の自主的判断の結果だったと主張。金城さんは自らの体験から集団自決に自発的な死はないと確信している。

・日本の戦争被害に対する補償法制は、恩給法による軍人恩給と戦傷病者戦没者遺族等援護法とが中核をなしている。適用されるのは基本的には軍人・軍属であって、非戦闘員である一般住民については国家補償がほとんどなされていない。政府はマラリア犠牲者は戦闘参加者に該当しないという見解をとった。

・あとがきに、「日本で唯一、大規模な地上戦のあった沖縄からさまざまなことを学び、それぞれの地域に帰って、平和活動に、地域の民主化に、いかさなければと思う。またそのことが沖縄の米軍基地問題解決の、遠まわりなようであんがい近道なのではないか」とあるが、賛成である。