公孫龍 巻一 青龍篇 宮城谷昌光

2021年1月15日発行

 

帯封「『これぞ、歴史小説におけるキング・オブ・ザ・キングダムだ』吉川晃司氏推薦! 中国・春秋戦国時代。王子の身分を捨て姿を消した青年は、『公孫龍』を名乗り再び激動の時代に現れた。歴史小説の第一人者が描く、新たな大河物語。最高傑作開幕!」「周王朝末期、弱体化した国を守るため人質として燕に送られることになった王子稜。その途上、父王から託された燕王宛の書翰の内容を知る。そこには、これを持参した王子を殺すようにと書かれていた。王宮内の陰謀に巻き込まれたことを知った稜は、身分を捨て運命を天に委ねることに決める。折しも、強国趙の幼い二人の公子を賊の襲撃から助けたばかり。二公子の臣下の求めに応じ、王子稜は商人『公孫龍』として趙の都を目指す。そして運命は変転を始めた―。」

 

18歳の周の王子稜に寺人(宦官)の肥が訪ねてきたことを童凛が伝えた。肥は陳妃の側近。陳妃は周の赧(たん)王の世婦だが、王子稜の生母季姞が亡くなった後に夫人に昇った。稜は父から燕王宛の書翰を託され、祥に連れられて生母の生国の燕に人質として届けられることになった。従者は傅育の牙荅(がとう)、力士の碏立、童凛の3人だけだった。趙の2人の公子を賊の襲撃から助けた際、咄嗟に公孫龍と名乗った。父から託された書翰の匣が壊れ、中身を読むと、燕王の手で稜を殺してもらいたいとあった。稜は狂乱した。祥から偽書であると聞かされた稜は、周の王子である証拠を示すこともできず、進退窮まり、天の声を聞くことにした。趙の後継者問題のために長子が弟2人(後の恵文王・平原君)を暗殺しようとして賊に襲わせたと気付いた周召は公孫龍こそ天祐と見、周蒙と共に公孫龍を追い掛けた。周蒙が追い付き、祥と稜に事情を打ち明けた。祥は莫大な貨を持参するよう求めた。周蒙がこれを約束の期限内に持参したのを見た祥は、その必死さから趙の公子何の危険が差し迫っていると感じた。稜は趙に向かい、祥は稜の船が転覆して死んだことにして壊れた匣を持って燕に向かった。稜は客人として従者6人まで認められ、2人の公子を守るために趙で牆壁に囲まれた宮室に移り住んだ。宮内には賊に内通する者がいた。賊が襲い掛かってきたが、事なきを得た。祥が燕で拘束された。稜は祥を救うために趙を出て燕に向かった。稜は燕の上都と下都を四往復して祥を救い出す手段を求め続けたが、見つけることはできなかった。稜は郭隗を訪ね、公子何が趙の国王になったと聞かされた。郭隗に師事したいと申し出て受け入れられた。10日後に燕王に謁見できるという。燕の昭王は意見を聴くため自ら足を運んで郭隗邸に出向いていた。稜は照王に過去の経緯を認めて祥の放免を願い出た。昭王は臣下の為に泣く稜を感動して見た。稜を気に入った昭王は郭隗邸の隣に公孫龍の邸宅を建てさせた。祥は稜が行方不明ということにして周の国に帰国した。旭放は燕の王室の御用を独擅(せん)していた。稜はそれを悪用する旭放を改めさせた。趙の主父が稜を招いた。秦に招かれた孟嘗君は秦から追われた。孟嘗君は秦を攻めた。稜は良馬を土産に趙に出向き、趙王何(恵文王)や公子勝に再会し、主父と会った。主父は稜に天は架空に過ぎず、そこに意思があるはずもないと問う。稜は天はある、人の大切が分からなければ天に滅ぼされる、周王も天意に従って動いたに過ぎないと答えたことで、主父は稜を王室に出入りさせた。中山で稜は楽毅と出会い、主父への急襲は失敗に終わることを告げた。祥が亡くなった。祥の臣下を加えて、稜は主父が建造した趙の宮室の配下を揃え、主父の出陣に随従した。中山王は降伏し、中山という王国は滅亡した。これにより趙は代へ迂回せずにまっすぐに行けることになり、燕とは国境を接することになった。主父は公子章に代を授け、安陽君という称号を与えた。恵文王は15歳で王としての風格を供え始めた。23歳になった稜を、主父は東武君らを連れて砂丘へ遊衍にゆく際に随伴させようとした。