昭和55年6月5日1版1刷 昭和58年10月30日1版11刷
①算術は先生より上手
②西田先生の塾に入る
③一升枡に一升五合盛る勉強
④米騒動起こる
⑤株屋から保険屋へ
⑥帝人事件起こる
⑦獄中生活
⑧岸君たちに拾われて
⑨知らぬ間に東京の助役
⑩百万の奥さん連に尽す
⑪食糧危機切り抜く
⑫小松製作所建て直し
⑬老いてますます
・明治19年5月、富山県福光町生まれ、酒造家の倅。松村謙三君は隣の家だった。父は汽船の仕事をしていた。四高時代は愉快だった。西田幾多郎先生の指導する三三塾に入った。東京の大学の卒業試験を終え、文官試験に合格した。卒業は明治44年。農商務省をスタートに、米価騒動が元で寺山内閣が崩れ、職を去った後、33歳で東株入りした。次に日華生命に移り、保険会社の合併を手掛けた。帝人乗取りを画策したなどと書かれ、市ヶ谷獄生活200日が始まった。保険業者として有志に帝人株を引き受けさせただけで後に暴騰したのは知ったことではない。無罪判決だった。郷誠之助さんの子分だった私は10人の会員で番町会を作った。皆一国一城の主となり財界でも力を持つようになった。東京市役所の助役を10か月ほどやった。行列を廃止して配給制にした。農相松村謙三氏に頼まれ農林事務次官になった。吉田内閣で厚生大臣をやった。ストライキをきっかけに小松製作所の社長となった。(昭和39年小松製作所会長に就任。45年5月14日死去)