ハードプレイ・ハードHard Play Hard 勝利への道 星野仙一

平成12年3月10日第1刷

 

・生まれも育ちも倉敷で、闘魂を培ったのは野球エリートではない、二流選手だという自覚によるもの。母子家庭で育った。父は私が生まれる前に病死して母と姉二人の過程だった。高3の時、米子東高校との決勝戦で敗れ、明治大学では卒業する年のドラフトで巨人が田淵を一位指名できるなら田淵を優先するという条件付きではあったが私の一位指名を約束していたが土壇場で反故にされた。十番目の中日の使命を受けて中日に入団した。根に持っているわけではないが、裏切られた屈辱を闘志のてこにして巨人戦には火の玉投手となってぶつかった。

・現役を引退後に評論家修行。「つまらない解説を三回続けたら、ダメな評論家と烙印を押されちゃうよ」と先輩に言われたが、話は簡潔に、明瞭勝つ個性的で面白くなければならない。適切な言い回し、用語の習得を心掛けた。ルックスも大事な要素ということで最初の評論家時代の1年で10キロの減量もした。帝王ジャック・ニクラスのインタビューで「どんな強豪との競り合いになっても私は常に優勝を狙う。その気持ちが亡くなったら、トーナメントには出られない」「いつも“今日しかない”と考えてプレーしている。明日を考えた瞬間、自分の熱は冷め、ファンも熱も冷め、誰も感動させることはできないんだ」との彼の話は特に印象に残っている。

・誰しも、自分が情熱をもってやっていることを人に認めてもらいたい気持ちはある。しかし、本当に有能な人間は常に匿名の情熱をもって、黙々と仕事に取り組むものだ。

・監督1年目から私は選手、コーチ、裏方さんの夫人の誕生日には花にバースデーカードを添えて贈り、折に触れて財布、ネックレス、子供用のリュックなどをプレゼントすることを続けてきた。優勝した年は、監督主催のファミリーパーティーを開く。夫人や子供を交えたお祝いは他にない。

・ただ一つだけ選手たちに勧めていることがある。ボランティア活動である。

 

知らない星野監督の一面が見れて面白かった。