2021年6月30日初版第1刷発行
表紙裏「岡倉天心は、いまから150年以上まえに生まれ、日本ではじめての美術学校をつくりました。東洋の美術や思想のすばらしさを、アメリカやヨーロッパに紹介し、美術運動の中心となったのです。本書では、天心自らが、型にはまらず困難にひるまず理想を追求したその生涯を語ります。」
フィレンツェを訪れた24歳の天心は、「このルネッサンスの傑作のように、日本で埋もれかかった伝統美術の生命をこれからよみがえらせて、新しい日本の美術を創りだしていきたい」と誓った。2年後、フェノロサと力を合わせて東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)を開校する。2年度横山大観ら16名の卒業生を送り出す。日本文化の源である中国に旅立つ。人間がつくりだす芸術や文化が元の自然に戻っていくのを見て自然こそが偉大な主人ではないかと思うようになる。かつて世話になったワシントンで全権大使をつとめる九鬼隆一から妻波津子を連れ添って帰国するよう頼まれた天心は帰途で波津子と愛し合う。ここからドロドロの愛憎劇が始まる。
天心は美術学校から免職され、教員となっていた大勢の弟子とともに美術学校を去る。代わりに新しい美術団体・日本美術院で横山大観や菱田春草らとともに新しい画法の研究に励む。インドに旅行しタゴールと面識を得て『東洋の理想』を書き上げる。
ボストン美術館から東洋美術品の調査整理を依頼されてアメリカに渡る。イザベラ・ガードナーの援助を受けて日本美術が広く知られるようになる。併せて新渡戸稲造は『武士道』を天心は『茶の本』を著した。前者は孔子のいう道を土台に、後者は老荘のいう道にしたがっている。日本に帰国した時は茨城県五浦の六角堂で波と雲を見ながら静かに過ごす。晩年はインドで知り合ったバネルジー夫人と誌的な手紙のやり取りをする。孤独を心の底に抱えていた天心らしい詩が綴られている。伝統的な日本美術の維持・発展に情熱を傾け、多くの弟子を育成する傍ら、破天荒な私行が目立つ中、世界に日本文化を宣揚した天心。エコロジーが叫ばれる昨今、天心の歩んできた道を学び直すのも悪くない、という感じの本でした。