細雪《中》 谷崎潤一郎

昭和30年10月30日初版発行 平成23年3月20日95刷改版

 

 奥畑は幸子に妙子のことを相談した。妙子は人形製作を弟子に譲り、フランス修行後、洋裁を専門にやりたい、将来職業婦人になりたいと考えているが、考えを改めさせてほしいと。幸子は彼が夫のような口の利き方をするのに反感を覚えながらも妙子に聞いてみた。妙子によると、奥畑は世間を甘く見ていて将来財産をなくすから、そのため手に職をつけると言った。妙子は玉置徳子女史の洋裁学校に通う傍ら、舞についても名取の免状を貰おうと師匠山村さくから稽古を受け、舞の披露会で妙子は「雪」を披露し、写真家の板倉が妙子を撮影した。ひと月後、大水害が発生。水が瞬く間に押し寄せて、妙子、玉置女史、その息子は女史の家の中で首から上だけ出す絶対絶命の状態となった。外は激流が流れ、妙子は死を覚悟した。が、間一髪板倉が駆けつけて三人を救出した。雪子は蘆屋の有様が心配で東京から蘆屋に向かった。蘆屋の薪岡家の隣に住むドイツ人のシュトルツ家は薪岡家と親密になり、悦子はペータア、ローゼマリー、フリッツの3人の子供と遊んだ。板倉は水害記念アルバムを作ろうとしてそこらじゅうを廻り、薪岡の家にもよく訪ねて来て三人の姉妹や悦子を車に乗せて海水浴に連れていくなど次第に懇意になっていった。山村のおさく師匠が腎臓病・尿毒症のため逝去し名取になりたいとの妙子の望みも空しくなった。隣の一家は日中戦争の影響で休店が続き帰国を決め、幸子は雪子と悦子をその見送りに東京まで行かせ、神経衰弱気味の悦子に東京で診察を受けさせた。幸子もその後東京へ向かい鶴子の家に滞在した。子供たちに手が早い鶴子と台風に怯えた悦子を見て幸子は悦子と築地の浜屋に移った。幸子は、奥畑から妙子と板倉の2人の関係が怪しいとの手紙を受け取り、身分の違いがあるから間違いはないと思いながらも不安に駆られ、妙子のいる蘆屋へと帰った。妙子は幸子が戻ると、製作のために夙川へ通い出した。幸子が奥畑から知らされた件を伝えたが、妙子は板倉の救助には感謝しているが、相手にしていないと言う。妙子は、玉置女史からヨーロッパへの遊学に誘われ、本家の許可を取り付けようとしたが、本家から反対された。幸子は、結婚予定の相手がいながら職業婦人になりたがる妙子の考えが分からず、また行儀の悪さが最近特に目についたことから、妙子を問い正すことにした。すると、妙子は奥畑が複数の芸者と関係して子まで生ませ、大水害の際にも顔さえ見ずに大阪へ帰った奥畑に見切りをつけ、命懸けで救助してくれた板倉と結婚を約束したと語った。幸子は妙子に板倉との結婚だけは断念してくれるよう言うが、妙子は雪子の縁談が先だというのが最大限の譲歩でありそれ以上は譲らない。幸子は妙子に忿懣を禁じ得ず、貞之助に協力を求めたが、貞之助は部外者を決め込んだ。幸子は相談相手欲しさに雪子を呼び戻すと、雪子も妙子が板倉と結婚するのには反対だった。三人の姉妹が戻り薪岡家は再び花やかになりつつあった。空家だった隣家にスイス人が入居した。貞之助と三姉妹と悦子は吉例の京都行きの帰りに悦子が猩紅熱にかかり隔離して生活した。婦人洋服店を開くために妙子は本家に資金の談判をしようと東京に行く。雪子は、妙子が一人で行くことに反対して幸子に同行してもらう。幸子は両方の立場が分かるので中立の立場で同行することにした。辰雄が多忙だったために話合いが一週間後に設けられる予定だったが、その間、板倉が中耳炎をこじらせて手術した際に悪い黴菌に感染してしまい、急遽蘆屋に戻った。板倉は脱疽で脚を切断したが結局死亡した。妙子は通夜と告別式に出席したが火葬場には行かず、郷里の墓参りだけ行った。幸子宛のシュトルツ夫人の手紙と悦子宛の娘ローゼマリーから手紙が届いた。